非モテ系のままで生きていくブログ

管理人は、寺社仏閣と鉄道と飛行機と猫を愛する非モテ系。モテないままで、流されることなく、流れるように、頑張らないで生きていく。旅行したり仕事とか人生とか考察したり。

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もう30代なのに彼女いない歴=年齢だから諦めようぜ

彼女いない歴=年齢は恋愛対象外

知ってたって?そうだろう。けれども暗黙の了解では意味がない。非モテはこのことを明確に認識する必要がある。彼氏にしたくない男ランキングでえある一位を獲得するのは、ダントツで「彼女のいた事がない男」である。もちろん非モテはこれを事実として認識しているから、今更動揺はせず、ですよねーとか言いながら仕方なくそれを受容するだろう。

しかし、まったく、ギャンブルをやったり暴力をふる男よりも、彼女がいたことのない男のほうが彼氏にしたくないというのだから、この結果については絶望するしかない。そういえば刑務所に入っているような殺人犯でも、獄中結婚という形で女を手に入れることができたりもする。なるほど僕たち非モテの価値とは、こうしたギャンブル男や暴力男、殺人犯にすら劣るというわけだ。

つまるところ、女というのは交際相手を選ぶにあたり、「他の女に受け入れられた実績がある」という事実をもって、この男を選択していいかどうかを判断しているようだ。他の女が許した男であるなら、その男に致命的なハズレ要素はないという判断基準をもっていると思われる。

逆に言えば女は、女と付き合ったことのない男は、これまでの人生において女に選ばれることのなかった何かしらの理由があるのだと解釈する。その場合僕たち非モテは、いつまでたっても女と付き合ったことのない男であり続けるしかない。

それはあまりに救いがないではないか。何という無理ゲーだろう。誰でも最初は彼女いない歴=年齢であるはずだ。けれども、おそらくその多くは10代から20台の前半にかけて、それをやめていくものなのだろう。

非モテにとって、彼女いない歴=年齢という事実は、もう取り返しがつかない。それが僕のように30代に到達したならなおさらだ。顔の造形なのか、あるいは背の低さなのか、ただの境遇なのか、何らかの理由があるにせよ、それでも僕たちは年齢相応の女性経験を求められてしまうようだ。

なんという無理ゲーなのだろう。服を買いに行く服がないとはよく言ったものだが、まさにそれと同じではないか。一定の年齢以上になれば、彼女を作るためには、過去に彼女が存在していなければならないのだ。

おそらく女のこの判断基準は正しくて、僕の実感でもそう思うのだが、30を過ぎて彼女ができたことのない男というのは、男女コミュニケーション上何らかの深刻な問題を抱えていることが多いような気がする。そうした男を排除するための基準として考えると、このスクリーニングも一定の合理性があるように思われる。

しかしそれは決して、その男が「社会生活上問題を抱えている」ことを意味しない。日々の労働や生活は問題なく対応することができるけれど、男女の関係というのがまったくもって扱いきれない連中というのは一定数存在する気がする。そして非モテの僕からすれば、そうした連中は僕の仲間であるから多いほうがいい。

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女と仲良くなる方法を学ばなかった

僕は小中高大と共学だった。学校で会えば女子と話さないということもなかったが、結局プライベートでの付き合いは1つとしてなかった。実際のところ僕は、女との関わり合い方をこのタイミングで学ぶべきだったのだ。今から思えばそれはやるべきことだったが、それをしなかったし、必要性を認識してすらいなかった。

若干中二病に罹患していたこともあっておかしなやつだと思われていただろうし、それでいて女と仲良くなれる自分というものに、自信をもつことができなかった。すでに恋愛やらを始めているクラスメイトがあったが、僕はそれを自分ごととして認識しなかったし、それらと距離を置いて気取っている自分のほうが好きだった。

それから15年も20年も過ぎて、僕は結局、女と仲良くなる方法がわからずにいるのだ。何をすれば良くて何をしてはいけないのか、その区別がまるでついていない。どこかで地雷を踏むのではないかという恐怖が先にくる。

僕は人を不快にしたくないのだ。僕と関わることによって不快に思う女がいるのなら、僕は喜んで関係を断つだろう。僕の中からは、それでもどうにかしてこの女と仲良くなりたい、という熱意やモチベーションが湧いてこないのである。

とにかく僕は何を話せばいいのかもわからなかった。僕の話などしても仕方ないのはわかっていたが、目の前の女にあれこれ聞くのも迷惑であると思えた。そしてその情報をどのように処理すればいいのかを、僕は理解していなかった。僕にとってはそれはただの意味のない雑多な情報に過ぎず、そうした情報を揃える意味も認識していなかったのだ。

おそらく本来は、そうして取得した情報から僕自身の属性情報と照合して共通事項や親和性のある事項を提示し、「あなたと属性的に近しい人間である、敵ではない」と表明した上で、同類であると安心させ、緊張感を解し、自分自身をさらに知ってもらうというプロセスが必要だった。その情報交換こそが「仲良くなる」という行為そのものだったのかもしれない。

いや実際のところ、もしかしたら、それほど僕は拒絶されるほどのことはなかったのかもしれない。もちろんそれは当時僕がモテたということを意味するものではない。当時の僕は、それを判断できる基準を持っていなかったから、極めて幼児的な「自分がされて嫌がることは他人にもしない」という社会的な一般ルールを適用したのだろう。

僕は自分のことを聞かれて答えるのは嫌いだったから、他人にもそれを適用して、他人のことを聞いて答えてもらうというコミュニケーションを試みなかったのだ。他人の側が嫌がるかもしれないし、よしんば答えてくれたとしても、返しに僕自身のことを聞かれて話すのは、それはそれで嫌いなので回避したかったのだ。

彼女いない歴=享年

僕は生きている限り非モテである。今更モテようとも思わないし、モテて何かしてやろうというモチベーションも湧いてこない。

昔は「ヤラハタ(ヤラずに二十歳を迎えた男の蔑称)」などと言われたものだが、今では20代そこそこであれば、ある程度彼女いない歴=年齢も許容されるらしい。ぜひまだ20代で何とかしたいと思うのなら、僕の非モテオーラあふれるブログなど読んでいないでマッチングアプリでも街コンでも参加するがいい。

一方で僕と同じように、残りの30年~40年という人生を、やはり彼女をもつことなく過ごし、そしていつか死ぬというのなら、それはそれで1つの人生のあり方だろう。

事ここに至れば、彼女がいたことがなかったという事実は限りなく価値の低い事実になっていて、死とは何かと詮無いことを考えてみたり、あるいは終活の段取りはどうかと心配している1人の老人が存在するだけに違いない。

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