パラオのコロール市街に残る日本との関係史
パラオ共和国。フィリピンと北マリアナ諸島の間くらいに位置する人口2万人ほどの小さな島国は、日本と深い関係を歩んできた。
第一次世界大戦後、パラオは日本の委任統治領となった。日本がパラオへ積極的にインフラや教育の投資を行ったことにより、南洋諸島の中でも栄えた都市となった。
太平洋戦争期には、南洋戦線の要衝である北マリアナ諸島、フィリピン、台湾をほぼ等距離に結ぶ軍事拠点としての価値が高まり、飛行場や司令部、発電所などの数多くの軍事施設が設置された。特にパラオ本島(バベルダオブ島)の南にあるペリリュー島には、今でも多くの戦跡が残り、ツアーも組まれている。
その後パラオは日本の第二次世界大戦の敗戦により、アメリカの委任統治領となったが、1994年に独立している。現在でも当時の名残で、高齢の方々には一部日本語が通じたり、日系人も多く住んでいたり、苗字や名前が日本風の方も数多くいる。
パラオは、戦後の日本による経済的な援助関係もあって、一般的には親日国ともいわれている。ところで、日本国旗である日章旗によく似た月章旗がパラオ国旗に定められたのは、日本への敬意や模倣を表すと言われる。しかしパラオ政府の見解によれば、類似した国旗であることについて意図的なものではないとのことだ。
「日本すごい」と気持ちよくなるのは勝手だが、僕は誤解がないようにしたい。
パラオの国旗は、民族独立を表す黄金の月と、広大な太平洋を美しさを表す薄い青からなる。それはまさにパラオという国そのものであり、僕たちは外国人としてそれに敬意を払うべきである。
僕がパラオを訪れたのは、2015年末のことである。ちょうど僕が前の会社を辞めるにあたり、残った有給休暇を使ってまとまった休みに入るところだった。かつての委任統治領にして、太平洋戦争時の有数の激戦地、そして現在も続く日本との良好な関係。僕はこのパラオという国をよく知りたかった。
というわけでパラオの都市コロールへ向かう。
デルタ航空の直行便が運行されているが、それは取れなかったため、グアムを経由するユナイテッド航空の便か、ソウルを経由するアシアナ航空または大韓航空の便で向かうことになる。航空券が最も安価であったため、僕はアシアナ航空を利用することにした。
コロール市街に残る日本の足跡
外国で自国の文化に不意に出会うと少々気分が良くなる現象に、誰か名前をつけてくれないだろうか。コロールには日本の足跡が数多く残っている。良いことも、そうでないことも。
K.B.ブリッジ。コロール島とバベルダオブ島の頭文字をとったコンクリート製の橋である。もともとこの地にはKB橋という、韓国のゼネコンが1977年に建設した橋が架かっていたが、1996年に崩落してしまった。現在の橋は、日本の援助により鹿島建設が建設した橋である。橋の袂には、日本とパラオの国旗と、「JAPAN=PALAU FRIENDSHIP BRIDGE(日本・パラオ友好の橋)」の文が刻まれている。
コロールのメインストリートの脇には、灯籠が残っている。
コロール市街地。
コロールの中古車販売店には、日本車が多く展示されている。多いのはハイエースとカローラだ。
エピソン博物館。パラオの歴史を伝える小型の博物館である。
エピソン博物館の反対側には、カトリックの教会がある。
パラオ警察署。月章をかたどった屋根がおしゃれ。
コンビニエンスストアで売られている日本のスナック。カールは生産終了したが、パラオにはまだ残っていた。しかし1.25ドルはちょっと高いか。
日本のドリンクも手に入るが、全体的に高い。お茶1本が2.25ドルということは、270円くらいである。もしかしてプレミア扱いされているのかもしれない。
パラオ市民センター。難の変哲もない南国風の建物で、その近くにはこれまた日本風の名前がつけられたアサヒ野球場もある。そしてこの裏に、かつての戦争の名残が残っている。
形式は不明だが、日本軍のものと思われる遺棄された戦車のようなもの。車体の上には空に向けて機関銃が装備されている。
機関銃部のアップ。口径は13mmかと思われる。
現在のパラオはダイビングスポットで有名だが、僕はダイビングをしにやってきたわけではない。僕の目的は、ペリリュー島にある戦跡をこの目で確かめることにある。