非モテ弱者男性のブログ

旧「非モテ系のままで生きていくブログ」から、弱者男性ブログに進化しました。レベル36の限界中年/異常独身/非モテのブログ。もう人生折り返しました。残りの人生を頑張らないで生きていこうと思います。なおこのブログには、モテる方法は1つも書いていません。

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ELT「Dear my friend」とかいう「ぬいペニ」を表現した名曲

僕が安さの殿堂ことドン・キホーテで買い物をしていた時のことである。スピーカー売り場では、その音質を宣伝するべく音楽が流されていた。今や懐メロとカテゴライズされるであろう平成前期のヒット曲がメドレーで流れる中に、一際アップテンポでノれる曲があった。それこそがEvery Little ThingELTの代表曲「Dear my friendであった。

僕はこの曲には聞き覚えがあったが、きちんと聞き通したことはなかった。何となく耳が覚えたので、改めてYoutubeなどで聴いてみたりすると、そこには「ぬいぐるみからペニスが生えてきた(=ぬいペニ)」が見事に表現されており、発表から25年越しで戦慄したという話である。

⛄ DEAR MY FRIEND ~Original Remix~ - Song Lyrics and Music by Every Little  Thing arranged by Yucky_daruma on Smule Social Singing app

勇ましく疾走感のあるイントロから、朝までファーストフードで他愛のない話で盛り上がる、青春感溢れる男女グループの情景が描かれる。そして(非モテにはこの経験があるか怪しいところだが)いつしか2人で会う機会が多くなってきた時、歌い手は察する。あの時のような気楽な気持ちを、どこかに忘れてしまったと。

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そしてサビで語りかける。「居心地の良かったあの頃へ戻ろうよ」と。「Best of my friend」という呼びかけまで添えて。

この1番の歌詞で分かるのは、おそらく「あなた」は友人グループの中の1人の男であり、どうもそいつが少し欲を出して、歌い手にアプローチを仕掛けているようである。それを歌い手がやんわり拒絶しているのだ。なぜならその男は「友達」なのだから。

なお、この曲のMVの持田香織は結構かわいいので、彼女が少し話したり笑ってくれただけで、非モテ弱者男性は勘違いして好きになってしまうだろうなぁなどと考察すると、大変趣深いものがある。

答えを1つ提示すると、「あなた」として登場するこの男は、間違いなく非モテであり、僕であり、あるいは非モテたる読者諸君である。だから僕は大いに胸が苦しくなる。

僕自身は身の程を弁えていたのでこのようなことは起きなかったが、何かの間違いで僕の周りに、この曲に出てくるような幼馴染的な関係性の女友達がいて、かつ誤った方向へ少しだけ勇気が湧いたなら、きっと同じ行動を取ったかもしれない。僕はそんなことを思いながらこの曲を聴く。

歌い手視点からすると、歌い手は一切彼を異性として意識してこなかったが、どうもこの男は歌い手に恋しているらしい。だが彼は女々しくも明確に拒絶されるのが怖くて、2人で会ったり、あるいは「綺麗になったね」と言うことしかできない。

この身の程知らずさ、距離感の測れていなさ、そして好きだと伝える勇気のなさ。これらがこの男の非モテ仕草である。しかし彼はまだ、自分が非モテだとまだ自覚していない。だから年頃になって可愛くなった歌い手に、身の程知らずにも好意を示していく。しかしそれは「好き」という直接的な告白ではなく、2番以降に出てくるような、極めて抽象的な表現によるものである。

そしてその2番、いよいよ男は乾坤一擲の行動を仕掛ける。「綺麗になったね」「突然」口に出すのだ。歌い手は「どうしたのかな。冗談だよね。マジな顔はあなたに似合わない」とごまかすが、恐らく本心は「それ以上こっちに来ないで」だろう。歌い手は男にこれ以上距離を縮めて欲しくないのだ。それはまさに「居心地がいい」関係を解消することになり、歌い手自身は全くそれを望んでいない。

現代風に表現すると、まさにこれは「ぬいぐるみからペニスが生えてきた」という案件である。しかし歌い手の側は、その男を恋愛対象として見ていないだけで、嫌悪しているわけではない。だから「居心地の良かったあの場所」へ戻りたいし、何度も「Best of my friend」と呼びかける

ここまでは、ちょっと勘違いした非モテが振られるという、青春の中のよくある1ページだ。男は歌い手に手酷く振られる。それが分かるのがCメロと大サビである。

「お互い恋心抱くよりも、分かり合える、語り合える、いつまでもそんな仲でいたいよ」という事実上の恋人拒否・ずっと友達宣言。さらに「いつか最高の自分に生まれ変われる日が来るよ」という「もっと高スペックになって出直してこい」とも取れる呼びかけ。そしてそれでも未だに「きっと今までの2人に戻れると信じてる」と、考え直すことを要求する。

果たして男は、ここまで拒絶されて、引き続き歌い手と友人関係であり続けることができるだろうか。この状態になってしまったら、どちらからともなく距離を置いて、そのまま友人関係すら解消されてしまう気がする。

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そしてもう1つ、この曲を作詞・作曲した五十嵐充は恐るべき音楽家だ。非モテの勘違いと、間違ったタイミングでの間違った方法によるアプローチ、そしてそれに対しての拒絶を、見事に表現している。五十嵐のこの非モテ仕草の解像度の高さは、一体何なのだろう。

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そしてこの曲の世界の中で、歌い手の側に問題があるとしたら、迂闊にも「2人で会う機会」を多く作ったことだろう。1回だけではなく複数回だ。これが問題だ。年頃の非モテ男が「その気」になる可能性を一切考慮しなかった浅薄さだ。しかもそれに対して自分の行動を何一つ反省していない。

あまつさえ「あの時の気楽な気持ちをどこかに忘れてしまった」などと男に責を帰している。そこにあるのは、自らその「居心地のいい関係」を壊す要因を作っておきながら、極めて他責的な女の姿だ。この他責性が許されるという男女格差を、僕はここに見出す。

最後に、これらの文脈から、男女の友情論を少しだけ語ろう。僕が思うに、少なくともこの曲の世界観である10代後半〜20代にかけては、男女の友情は成立しないだろう。この時期の男女間には、明確に性的価値において男<女の不均衡が発生しており、また全ての男女の関係は性的関係を多かれ少なかれ伴うものだからだ。

その不均衡において、女は男に対して献身を要求し、男はその見返りとして女にその肉体を要求する。その不均衡な交換条件が前提にある限り、男女の友情はあり得ない。

その意味で男女の友情が成立するのは、お互い「枯れてきた」時だろう。お互いの性的価値が皆無になり、均衡が取れたときだ。だから何十年という単位で時間を置けば、「今までの二人に戻れると信じてる」というのは決して希望のない話ではなく、お互い歳をとって「枯れた」なら、「分かり合える、語り合える」関係に再び戻ることも可能だろう

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あぁ、Dear my friendを聞いていると、そういう幼馴染が僕にも欲しかったな、などと思う。仮に僕に幼馴染がいたならば、30代後半を迎えた今、どこかで幸せに暮らしていることだけを願うのだが、そんな相手すらいないことを、僕は度し難く思っている。

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