非モテ恋愛弱者のブログ

旧「非モテ系のままで生きていくブログ」から、恋愛弱者男性ブログに進化しました。レベル36の限界中年/異常独身/非モテのブログ。もう人生折り返しました。残りの人生を頑張らないで生きていこうと思います。なおこのブログには、モテる方法は1つも書いていません。

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人工知能(AI)は魔法じゃなくて道具でしかないという話

弱者男性の拠り所となるべく誕生した僕のブログ。このブログは、僕の日記帳でもある。僕の頭の中に浮かんだ由無し事の何を書こうが、僕の自由だ。そういうわけで、たまにはこのブログで、テクノロジーについて語ってみようと思う。

今回のテーマは人工知能(Artfical Intelligence:AI)だ。人工知能(AI)で仕事が奪われるとか、またはその逆で労働から解放されるとか、あるいはいずれ人類はAIと敵対するだろうとか、AIについては近未来SFのようなロマンがあって、大変よろしい。

ちょうどmidjourneyという画像生成AIが、アメリカの美術品評会で1位を獲得して話題となっている。AIは絵画やイラストの面において、人間を凌駕してしまったのだ。

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midjourneyによって、世界のイラストレータは仕事を失うという話になっているが、実際のところ、このAIが開発されたからすぐにイラストレータの契約が解除されたという話にはなっていない。おそらくmidjourneyは、そういうイラストレータの仕事を奪うのではなく、僕たちのような絵心のない一般市民でも、高度に描写された絵画やイラストを手に入れるようにするためのものだ。

これは自動車と同じである。自動車は人間の能力の限界を超えて、遠距離を高速で移動できる、そんな価値を全人類にもたらした。midjourneyも同じように、人間の絵画の可能性を大きく広げたのである。つまりこれは人類全体の大きな進歩である。

AIは、あたかも人類に何か大いなる恩恵を与える救世主であるか、または人類を破滅に導く破壊神であるような表現がなされることがある。僕の理解では、AIはそんな魔法や化け物じみた存在ではなく、人類の技術によって作り出された、使い方を間違えない限りにおいてただの便利な道具に過ぎない

AIの本質というのは、人間が作り出したコンピュータプログラムである。それは知識の集合体であり、学習することでその知識をより高度化することができるが、それをどう使うかまでを理解することはない。使い方を決めるのはあくまで人間の側だ。

AIは、ノーベルが開発したダイナマイトのようなものだ。それは人間の力の何万倍もの力を発揮することができるので、鉱山開発や整地などの経済的活動の効率化に多大な影響を与えた。しかしてその力が人間そのものに向けられた時、銃や刀剣などとは比較にならないほどの殺傷力を持つ、悪魔的な兵器となった。

人間が作りしものというのは、全てそのような特性を持つ。ナイフだって自動車だって、それ単品では悪くもなく、良くもない。全てはそれを使う人間側の問題である。AIも同じことだ。AIを適正に使うことができれば、多少なりとも人間の生活が効率的になり、いい影響があるだろう。

そういう意味で、AIは味方になれば敵にもなる。それは使う側の人間次第だ。AI単体でできることは何もない。誰も彼も、AIに期待しすぎなのだ。実のところ、AIができることは、人間にだってできる。AIができるのは、それを大規模に大量に高速に実行することだけだ。そして、それ以上のことは一切できない。

ことAIは、「発想」ができないのだ。そしてまた、パラメータや数値化された情報以外を理解できない時点で、AIは人間に対して圧倒的に劣る存在だ。そのへんの犬や猫だって、例えば感情という数値化されないものを理解し行動する。その意味で、AIは犬猫にすら劣る

ロボットに感情を搭載しない方がいい

ところで、人間のような判断基準系を備えた人型ロボットというのはロマンがある。AIを搭載したアンドロイドの開発において、最も忌避すべきことは、感情機能を搭載することだろう。

僕たち人間はよく承知しているが、感情というのは、ある特定の場合において(稀ではあるが)制御不能に陥り、破滅的な結果を導くことがある。僕たちの感情が制御不能になっても、僕の身体能力と知能の範囲内での破滅的な結果を導くだけだ。それが人類を生存の危機に陥れることは、僕が核ミサイルの発射スイッチをこの手に握りしめていない限り、まずないだろう。

実際のところ、仮に僕が核ミサイルの発射スイッチを持っていたとしても、それを怒りに任せて押すことはないだろう。そこには「理性」があるからだ。同じ霊長類の同族の他民族を抹殺することに逡巡を覚えるからだ。その抹殺が自分自身の生存にとって合理的であっても、理性が働く限り、僕は核ミサイルを発射することはない。

しかしてAIはどうであろう。僕が思うに、AIはあっさりとその他民族を抹殺するだろう。その他民族を抹殺することが自分自身の生存に合理的であるからだ。AIはこのように、効率的な目的達成を目指して行動するのであり、機械であるがゆえに理性や本能、あるいは倫理のような概念を理解しない

そしてそれらの本能や理性のあまねく全てをAIに実装できるほど、僕たち人間は単純な存在ではないとも思う。それらは10万年の進化と適者生存のもとに構成され、大脳旧皮質に刻み込まれた生存と繁殖のベストプラクティスの集合体であり、その全てを解き明かすことすら困難だ。そんな全体像すら理解の及ばないパラメータをAIに実装することなど、100万年経ってもできはしないだろう。

その意味で、AIを活用した「人間のように振る舞えるロボット」など、存在しない。人間存在は人間にしか、その役割を担えない。このように、AIができることなど、道具の範疇でしかない。どう使うかは僕たち次第だ。

確かにAIに代替される仕事というのがセンセーショナルにバズったりもするが、だからと言ってAIラッダイト運動は起きないと思う。実際のところ、AIに膨大な学習をさせるための学習ルールの最適化や体系化するには時間とコストがかかるし、そもそもAI育成コストをかけるくらいなら引き続き人間にやらせたほうがコストパフォーマンスがいいこともあるのだ。

AIは全てを解決するというのは詐欺師か不見識者だ。AIはダイナマイトや自動車などと同じで、人間の活動を効率化するためのただの道具でしかない。僕たちはAIの本質を理解し、AIとうまく付き合っていこう。

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