非モテ弱者男性のブログ

旧「非モテ系のままで生きていくブログ」から、弱者男性ブログに進化しました。レベル36の限界中年/異常独身/非モテのブログ。もう人生折り返しました。残りの人生を頑張らないで生きていこうと思います。なおこのブログには、モテる方法は1つも書いていません。

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どうせモテないし太く短く生きようぜ

できたことが、できなくなった

ここ最近、牛丼の大盛りや、二郎系ラーメンの中盛や、あるいはマクドナルドのバリューセット(サンドイッチとポテトとドリンクのセットのアレ)のポテトを食べきるのに苦労するようになった。

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僕は自分自身が老化し、体の機能が劣化していることを感じる。徹夜は当たり前のようにできなくなった。もし仮に徹マンでもやろうものなら、その回復に丸2日を費やすことになる。あるいは、ゴルフやサッカーなどのアクティビティに対して、それをやった後の回復が明らかに遅くなった。そういう激しい運動をしたあとは、どれだけクールダウンしてリカバリ運動をしても、翌日以降、体のどこかに不調を感じる。

性欲も薄れてきた。もともと僕は、次の世代に僕の遺伝子を継承させることに消極的であり、生殖の本能を理性で制御し、どうしても解消しきれない場合は、精神衛生を求めて風俗店にも赴いたものだ。しかし今、半ば義務的な自慰の頻度すら減少している。

こうしてこれまでやっていたことができなくなったり、あるいは意欲が薄れてきたりするのを観察すると、僕は今、死が迫ってきていることを感じる。それは30年後くらいに、僕を迎えにやってくるだろう。

非モテの人生に長生きする意味はない

僕たちは非モテである。他の非モテはどうか知らないが、別に非モテである人生を望んできたのではなかった。モテることができたなら、あるいは僕を愛し、僕の愛を受け取ってくれる人があったなら、そういう人生を歩んでみたかった。

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そういえば、先日福岡の大宰府天満宮に参ったわけだが、七五三の晴れ着で着飾った家族連れが、少々僕の目には痛かった。父親も母親も、大方僕より年下だと思われたことも厳しいものがあった。

今、僕は35歳になった。もうそのような願望を抱くには年を取りすぎたことは分かっている。同い年の連中は、そろそろ子供の2人目か3人目ができたり、マイホームを買って幸せな人生を噛み締めて生きていたり、あるいは仕事で出世するやつは出世する。同じ釜の飯を食った者同士の差が生まれるのが20代後半だとすれば、30代の半ばになると、それが固定されてくる。

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僕の人生のこの先に、特に大きなイベントはない。僕はただ、残りの人生あと30年か40年を、消化試合的にやり過ごすだけだ。

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自分の年を3で割れば

少々マイナーだが、海援隊の曲の1つに「自分の年を3で割れば」というものがある。

自分の年を3で割れば 出てきた数字は人生の刻

俺は40過ぎ まだ昼下がり

僕は35歳だから、まだ11時半というところか。40を過ぎても昼下がり。だからといって何でもできるというわけではない。まぁ確かに午後に予定を1つ、夜に予定を1つこなすだけの残り時間はあるのだが、その予定をこなすだけの気力と体力はどこから湧いてくるのだろうか。年だけで言えば確かにまだ半分程度だが、その残り時間を有効に使えるかどうかは、朝10時くらいまでの行動によるところが大きいように思う。

実際のところ、あと40年は生きすぎだ。最も理想的なのは、60歳手前くらいで病気で死ぬことだ。

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非モテの「緩やかな自殺」

そういえば僕は、緩やかな自殺を試みていたのだ。僕はよほど野菜が食べたいと思わない限り、基本的に野菜を摂取しない。その代わりラーメンや肉類など、炭水化物や脂が多く、味の濃いものを求めている。それらはとても美味しくて、僕のQOLを高めてくれる。にもかかわらず僕の体は少しも変調しない。

また僕は一時期煙草を喫っていた。これも自分の死期を早めようとして20代なかばから始めたのだが、3年くらい前に好きな煙草が1箱500円を超えたあたりで、煙草を買う気がなくなって辞めた。

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思えば僕は、20を過ぎたころに、海援隊フォークソング「俺の人生真ん中あたり」を好んで聞いていた。40もすぎれば僕の人生は十分だと思っていた。今の飼い猫2匹(4歳と1歳)を見送ったならば、もう生きる理由もないのだとも考えていた。

今でもそう思ってはいるのだが、実際のところ、体力は低下したとはいえまだ病気の1つも抱えていない健康体だし、またあと5年ほどで今飼っている猫が死んでしまうとも思えないので、もうしばらく生きてくつもりではある。そして、こうして実際に40歳を見据えてみると、やはりさすがに40歳よりは長く生きそうな気がする。

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今すでに自分の人生は真ん中を過ぎていると思うと、少し心が休まる気がする。僕の人生は、どうあがいても、あと40年経てば終わるのだ。それまでに多くの苦難と困難が、僕を待ち受けているだろう。20代の頃は、それが永遠に続くように思われた。だから40歳手前で死にたいと思った。

けれど今35歳になって、それも有限だと割り切れるようになった。どんな苦難や困難も、それに終わりが見えてくれば、その終わり自体が生きる希望になる。僕の苦しみは有限だ。その果てには、無限の安息が待っている。

それだけが僕の希望だ。煙草も酒も僕は飲らないが、しょっぱくて脂っこいものと、少々長い睡眠こそが僕の生きる意味である。

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どうせ僕は死んでしまうのだ。別に今死に急ぐことはない。適当にやっていればよろしい。わざわざ出向かなくとも、そのうち向こうのほうから勝手にやってくるだろう。

そして、どうせ非モテの人生だ。長く生きる必要性などない。好きなものを食べるだけで、僕は早く死ぬことができる。そういう幸せな日々を続けて、さっさとこの世から去ってしまおう。健康のために、長生きのために、別に食べたくもないものを口にするのは愚かなことだ。

僕の最高の睡眠は、死のその先にある。

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