シンガポールのチャイナタウンにある黄金の仏教寺院「佛牙寺」がすごい件
シンガポールの繁華街の1つで、チャイナタウンという地域がある。その名の通り中国系の人々が暮らす地区になっており、所狭しと中国料理店や土産物店が立ち並ぶ。食事時ともなれば、客引きの店員が観光客を待ち構えている。
春節(中国における旧正月)の時期には街中が「福」と書かれた赤い提灯で彩られ、賑わいを見せる。その様子はシンガポールの中にあって全くシンガポール的ではない。僕は中華圏の国だと台湾の台北くらいしか行ったことがないのだが、まさにそれは台北で見た中国の町並みそのものである。シンガポールが多民族国家であることを肌で感じさせる一景だ。看板も漢字ばっかりだし。
春節で飾り付けられた街路と、シンガポールで最も古い歴史のあるヒンドゥー教寺院「スリ・マリアマン」。道中通りかかったので撮影。
ヒンドゥー教特有の、神々や聖人が彫られた門が芸術的なまでに美しい。中で礼拝も行われていたのでちょっと入りたかったが、僕はヒンドゥー教徒ではないのでヒンドゥー教寺院にはすごく入りづらい。英語が通じるかもわからないし。
ヒンドゥー寺院と仏教寺院が共存共栄する世界が、ここにはある。
さて、ご存知の方も多いだろうが、中国には古来から仏教も伝わっており、現在でも多くの信仰を集めている。このチャイナタウンの中心部には、「佛牙寺」という壮麗な寺院がそびえ立っている。
相対的な仏教徒である僕は、この壮麗な中国様式の仏教寺院に興味を持ったので、折角の機会ということで行ってみることにした。
ちなみに、下段でも触れるが、佛牙寺は宗教施設でもあるため、露出の多い服装は謹んだほうがいい。ノースリーブを着ている女性にスタッフがストールを貸し出しているのを僕は見た。
本当かどうかはともかく、仏教の開祖ブッダの歯が納められていることが、佛牙寺の名称の由来となっているらしい。
サウス・ブリッジ・ロード側から撮影した佛牙寺。この佛牙寺、内部に入るのは無料である。
佛牙寺へのアクセスは非常に簡単で、MRTのチャイナタウン駅から歩いて5分ほどである。
佛牙寺は前後2つの堂から構成されており、サウス・ブリッジ・ロード側の堂を「百龍寳殿」、その反対側の堂を「圓通殿」という。
ちなみに「寳」はあまり馴染みがない漢字かもしれないが、「宝」の旧字体である。
百龍寳殿
百龍寳殿の本尊である、黄金の弥勒菩薩立像。
弥勒菩薩像だけではなく、この堂の壁いっぱいに小さな黄金の仏像が並ぶ。
小さな仏像のアップ。小さいといえども丁寧に作り込まれている。
壁際の金色の龍の彫刻も美しい。遠目なので材質はわからないが、注目すべきはその精巧さだ。ひげや鱗、歯などの細かいパーツの1つ1つが細かく作り込まれている。金属であっても木であっても、その技術には驚くべきものがある。
こちらは日光東照宮の陽明門前の壁である。訪れたことのある人はわかるかもしれないが、この壁の木造りの彫刻の精巧さと、装飾に金色を多用するところに佛牙寺との共通点がある。東照宮が明らかに中国様式を取り入れた寺院であることが理解できる。
偃月刀を構えた関羽像。三国志演義の英雄である関羽は、仏教においては仏法の守護神である。
圓通殿
さて、続いて圓通殿に行ってみよう。
ちなみにこの圓通殿側にはスタッフがいて、特に肩を出したファッションの女性に、肩を隠すためのストールを貸し出していた。宗教施設でもあるため、露出の多い服装は謹んだほうがいい。
圓通殿の本尊は如意輪観音である。如意輪観音の周囲は、百龍寳殿のそれよりもさらに小型の仏像が壁いっぱいに並んでおり、さらにいくつかの菩薩像などが安置されている。数の暴力というべきか、仏像それ自体は百龍寳殿のものより小さいのに、なぜか威圧感と荘厳さを感じる。
不動明王像。炎を纏う黒肌の姿が特徴的だ。
千手観音像。
文殊菩薩像。
虚空蔵菩薩像。
普賢菩薩像。
阿弥陀仏像。サンスクリット語で「アミダーバ」。名前の由来は音韻転写そのままである。日本では浄土系の信仰を集めて浄土宗や浄土真宗の本尊となっているが、シンガポールではどのように扱われているだろうか。
大日如来像。サンスクリット語で「ヴァイローチャナ」。日本では真言密教系の本尊である。また奈良の大仏こと東大寺毘盧遮那仏とも同一である。
これらの菩薩や如来の名前には、見覚えがある方も多いだろう。合わせてサンスクリット語の呼称も表記してくれているのが結構うれしい。
この美しさに、思わず手を合わせたくなる。見逃してはいけない。
ご存知の通りシンガポールは多民族国家で、中国系、マレー系、インド系などの様々な人々が暮らしており、佛牙寺はその中での中国文化を色濃く伝える寺院である。こうした多様な文化に触れるのはいいことだ。シンガポールを旅行する諸君は、チャイナタウンでグルメを堪能することもあるだろうから、そのついででも是非行ってみてほしい。日本で寺巡りなどが趣味の諸君はなおさらだ。内部の荘重さは特筆すべきレベルだし、きっとがっかりはしないだろう。