とある喪男の雑記ブログ

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16歳の白猫を乳腺腫瘍で亡くした話する

乳腺腫瘍と戦った、白猫と僕の物語

僕は猫を飼っている。猫は素晴らしい家族だ。しかし猫のほうが寿命が短く、多くの場合僕たち人間のほうが猫の死を看取る場合が多い。このエントリは、かつて僕が飼っていた猫と同じように、乳腺腫瘍になってしまった猫の心優しき飼い主様たちへ向けて、何かの参考になればと思って書いたものである。

もともと多頭飼いだった

僕が中学生の頃、猫を飼い始めた。

僕には弟がいて、その弟の友達一家が拾い、里親を探しているところだった。2匹いて、1匹はキジトラ、もう1匹は全身真っ白の猫、どちらもメスだった。

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左:白猫(1998~2014)
右:キジトラ(1998~2007)

本来猫を飼う場合は、メスの場合、子猫のうちに避妊手術を行う。具体的には、乳腺や卵巣など摘出し、生殖能力をなくすのである。そういうことを知らなかった僕たち家族は、我が家の2匹に対して避妊手術を行わなかった。今から思えば痛恨の極みである。乳腺(と卵巣)を摘出しておけば、16年後にそれが腫瘍になることもなかったというのに!

そして、母親はなぜかキジトラが嫌いで、事あるごとに殴ったり蹴飛ばしていた。特に発情期で夜中に大声で鳴いている時の制裁がひどかった。もはや体格に優る僕がそれを止めた。ガチ喧嘩で母親を泣かせたのは多分それが初で、それ以来キジトラは大変僕に懐くようになった。

当時は全然デジカメとかが普及しておらず、携帯電話に65,536色の低画素カメラがようやく広まりだした時期だった。そのためキジトラの写真はほとんど残っていない。

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石油ストーブで暖を取る白猫。毛が焦げてしまったのは、ハロゲンヒーターに当たりすぎてしまったためである。

9歳の頃、キジトラは急激に体重が軽くなり、あまり餌を食べなくなった。走り回ることもしなくなった。病院に連れていこうとスケジュール調整していたある日、キジトラは僕の腕の中から逃れ、突然家中を一周走り回ると、そのままベッドの下に潜り込み、動かなくなった。この時僕は大学生で、それでも大いに泣いた。母親が一緒になって泣いていたのは本当に許せなかった。あれだけ嫌っていたくせに。

白猫はキジトラに寄り添い、冷たくなっていくその体を名残を惜しむように舐めていた。

白猫を病魔が蝕んでいった

一人(匹)ぼっちになってしまった白猫。もともと甘えん坊の白猫だったが、遊び相手が居なくなったとみると、大いに僕に甘えてくるようになった。

白猫はどこへでもついてくるし、スキあらば膝の上に乗ってきた。僕のベッドは僕が夜だけ寝るのに使わせてもらっており、昼間は基本的に白猫の占有スペースだった。

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布団でボールのように丸くなって寝る白猫。

大きな病気はまったくしていなかった。しかし時が経つにつれて、階段を駆け上がることができなくなり、あるいはジャンプでベッドや台に飛び乗ることができなくなっていった。既に15歳を超え、人間でいえば80歳を超えるおばあちゃん猫になっていた。毛並みも少々ボサボサになり、少々茶色みを帯びていたが、食事や排泄等に大きな問題はなかった。

2013年7月、暑い日だった。僕の弟が、白猫の腹部にしこりがあるのを見つけたのである。

7月下旬、動物病院で乳腺腫瘍の疑いと診断される

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乳腺腫瘍と診断された頃の白猫。

ある程度事前に情報収集をしていたこともあり、乳腺腫瘍と診断されること自体に覚悟はしていたつもりだったが、やはりそれを確定されたものとして告知されるのには心が折れそうだった。

高齢猫の乳腺腫瘍は極めて高い確率で悪性腫瘍であり、発見されてからの余命は3ヶ月~半年程度である。当面の対応としては、既に腫瘍が3cm程度に育ってしまっているため、まずはそれを切除し、同時に採取できた細胞を病理検査にまわして、様子を見ることになった。

8月上旬、乳腺腫瘍の摘出手術

腫瘍となっていた乳腺は2つあり、それらを切除する手術を実施。2日間の入院となり、麻酔がほぼ覚めた状態で帰宅した。

本来であれば体調の回復を待って抗がん剤などの投与も検討されるのだが、血液検査の結果、白猫は全体的に貧血気味であった。具体的には赤血球と白血球の数が基準より少なく、体力的に抗がん剤に耐えられないという見通しであった。

本来そこまでしてようやく根絶できるかどうかという話であるから、抗がん剤で対応できないということは、もはや再発は時間の問題であることを意味した。悪性腫瘍であればがん細胞が体中を巡っており、大元を切除してもどこかで高確率で腫瘍が再発するからだ。そしてその時こそ白猫との別れの時であることを、僕は覚悟しなければならなかった。

9月~10月、体調は安定するが貧血と脱水が続く

16年も一緒にいた家族以上の存在と永遠に別れる!白猫のいない世界!その時が来るという覚悟は大変に心が折れそうだったし、それを思い出すと今でも吐きそうになる。

猫との闘病生活で最も問われるのは、医療にかかる費用はともかく、飼い主自身の精神力というか、忍耐力というか、そういうものだと思う。愛猫との別れの日が刻一刻と迫ってくることに対してそれをどのように受け止め、あるいは逃避するかが問題である。そうだ、逃避してもいいのだ。眼の前に熱い鉄を押しつけられたなら、顔をそらすのが人間じゃないか。

飼い主たる僕も自らの精神状態と戦っていたが、白猫も(顔には出さないが)必死で病魔と戦っていた。手術後は定期的に通院し、体調は手術前よりも安定はしていた。それなりに食欲はあったし、体重も3.1kg(白猫は体が小さかった)くらいを維持していた。

そうはいっても血液が濃くなるわけでもなく、また水を飲ませても血液の状態が向上することはなかった。健康診断では常に貧血気味、脱水気味という結果が出たのだった。

僕はもはや短くなった白猫と一緒に過ごせる間、何をしたらよいのかずっと考えていた。できることは全てやろうと思っていたが、その中でも、QoL(Quality of Life)を優先し、とにかく食欲のあるうちに美味しいものをお腹いっぱい食べてもらうことにした。シーバや金缶などは少々値の張る食事だったが、美味しそうに食いつく白猫を見られるだけで、そして食事の後丸くなって寝ている白猫を撫でられるだけで、僕は涙が出るほど嬉しかった。

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11月中旬、腫瘍が再発

とうとうその時がきてしまった。お腹の別の部分にしこりが発生したのである。

さすがにその事実を受け止めるのは努力を要した。抗がん剤も対応できず、また体力的に切除手術に耐えられるかどうかも極めて不透明だった。というのは、心臓も弱ってきており、麻酔のショックで心停止する恐れもあったからだ。結局、もはや手術もできなかった。

僕は手術をしないことを受け止めた。痛み止めを処方してもらい、腫瘍を抱えつつもこれまでどおりの生活ができるように取り計らうことにした。

「年越しは厳しいと思います」。僕は獣医師の先生の告知をよく覚えている。なぜなら、それを告げる先生の顔が、とても悲しそうで、辛そうだったからだ。僕以外にも、どれだけの飼い主にそれを告げてきたのだろう。こんな残酷なことを告知しなければならないとは、もう、何とも言えず悲しくて苦しい。

僕も精神状態を安定させるため、あえてペット葬儀場などを検索したりした。極めて近い将来に白猫が逝ってしまうという事実を無理矢理にでも頭に刷り込まなければ、きっと僕の心は折れていたに違いなかった。

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日向ぼっこをする白猫。

一方白猫も、体の衰えが顕著になってきた。もはやジャンプはできず、階段を上り下りするだけで疲れてしまっていた。排泄しようにもトイレに間に合わず、布団や床におしっこをしてしまうことが増えた。僕は喜んで汚物を掃除した。白猫がいてくれる日々があれば、どんなに布団を汚されても平気だった。

12月下旬、白猫逝く

寒い朝だった。会社がちょうど年末年始休暇となり、今年最後の健康診断へ向かう前だった。白猫は出発前まで僕の腕に抱かれていたが、突然痙攣を起こし、そのまま息を引き取った。僕はその間、弟を呼ぶ以外は撫でることしかできなかった。

…胸に耳を当ててみても、呼吸の音も、心臓の音もしない。

鼻を近づけても、息遣いを感じない。

もう自分の足で立つこともない。

あぁ、本当に逝ってしまったのだ。

よく頑張ったね。苦しかったね。辛かったね。

病気治せなくて、本当にごめんね。

キジトラには会えたかな。

僕は白猫にとって、最高の飼い主であれたかな。そう思ってくれたら、嬉しいかな。

神様というものが本当にいるなら、一発ぶん殴ってやろう。僕の大事な白猫をこんな目に遭わせやがって。

そんなわけで、いい年した大の男が、嗚咽を漏らして大泣きしたのである。いやマジ泣くぞこれ。ショックでかすぎる。

思えば7月に腫瘍が見つかってから、本当に半年で逝ってしまった。キジトラに続いて人生2度目のペットロス。「オレも十分やったよ」って思えるくらい、いろいろやったつもりだったし、事前にある程度覚悟もして、心の準備をしていたのに、それでもペットロスから立ち直るのに3年かかった。

もしまだ読者諸賢の猫が存命なら、僕が思うに、猫にとって最高の飼い主であり続けたいとか、猫のために自分ができることとか、そういうのをとにかく考えてやってあげることが大事だと思う。猫というのは(健康なうちは)割と放っておいても大丈夫な生き物ではあるけれど、そういう心構えで接している限り、きっと猫も飼い主を好きでいてくれると思っている。

猫が一緒にいる生活に感謝しつつ、猫をモフモフできれば最高だ。

子供が生まれなければ猫を飼いなさい。
猫が赤ん坊の時、あなたは猫の良き下僕となるでしょう。
猫が幼年期の時、あなたは猫の良き下僕であるでしょう。
猫が少年期の時、あなたは猫の良き下僕でいるでしょう。
猫がおとなになった時、あなたはやはり猫の良き下僕のままでしょう。
そして、いつか猫は自らの死をもって、あなたの心に猫型の穴を開けるでしょう。
その穴を埋めるには、また猫を飼うしかありません。

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