非モテ恋愛弱者のブログ

旧「非モテ系のままで生きていくブログ」から、恋愛弱者男性ブログに進化しました。レベル36の限界中年/異常独身/非モテのブログ。もう人生折り返しました。残りの人生を頑張らないで生きていこうと思います。なおこのブログには、モテる方法は1つも書いていません。

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37歳の恋愛弱者、婚活を決意する。どうせ負けるなら頑張ってから負けようぜ

自分が弱者男性であると自覚していながら、結婚願望を持っている人は、どれだけいるのだろうか。

僕は少し前まで「一度でいいから2年くらい結婚してみたかった」というように、過去結婚願望が多少なりともあった。ここ最近では結婚願望が失せていたので、それはそれで弱者男性としての人生のステージを上手く進めているように思っていた。

このエントリの本来の趣旨は、結局結婚に消極的なまま生きてきたけど、それで良かったのだろうか?ワンチャンスなくもないのだろうか?と逡巡している弱者男性の結婚願望を断ち切ることだった。しかし先日、意図も想定もしていなかった女性とのデートにより、37歳という年齢にして恋愛脳を発症してしまった僕は、このタイミングになって、少しだけ恋愛を頑張ってみようなどという暴挙に出ようとしている。

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僕は何をどのように頑張ればいいだろう。

前置きとして、過去のエントリで女性不信やら恋愛忌避を語ってきた僕がなぜ急に心変わりし、結婚などをゴールに見据えたかを語ろう。

恋愛では弱者男性は搾取される

「結婚にはメリットがない」と結婚できない男が語るのは無様なものだ。ただし僕たちは、これを正しく理解する必要がある。僕が思うに、より正確にこの命題を表現するならば、「弱者男性にとって結婚にはメリットとデメリットがあるが、デメリットが上回る」だろう。

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僕たち恋愛弱者男性は、恋愛市場では苦しむことになるだろう。僕たちはマッチングアプリや婚活サイト、そして当の女性からATMのごとく養分にされる。出会うために課金し続けることで資金を失い、女性に振られ続けることで自尊心と自己肯定感を失い、何1つ得るものがない。一方で婚活業者は弱者男性諸君の課金で潤い、強者男性と女性は、諸君らの課金によって運営されるプラットフォーム上で、お互いのつがいを見つけるわけである。

僕は極めて合理的な判断軸の持ち主で、自分にメリットの有ることしか取り組まない性質であるが、そんな僕に婚活とかいう「デメリットが上回ること」に挑戦させようとする恋愛、もとい生殖の本能は、やはり僕にとっては驚異的である。

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一言で言えば、幸せになりたい。今の僕のモチベーションは、それしかない。それは「デメリット」すらを凌駕するものであった。

「幸せになりたい」が、恋愛や結婚のデメリットを凌駕する

正直なところ、恋愛脳なんて目覚めさせるべきではなかったと、今でも思う。きっかけは上述のエントリにまとめた、とある女性とのデートだった。その彼女を好きになったことは仕方ないし、僕にはあらゆる意味でどうしようもなかった。彼女とは縁はなかったが、彼女を好きになったことに、特に後悔もしていない。何なら彼女を好きになれてよかったとすら思っているし、そういう意味で僕は、人生を考え直す契機を与えられたと考えるべきだ。

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話は簡単なことで、つまり今の僕は、人恋しくなっているのだ。職場で最も容姿に優れる彼女との最初で最後のデートは、意中の女性と過ごす時間の素晴らしさを、そして意中の女性をもてなし、楽しんでもらいたいという純粋な好意を、その報酬として僕に向けられた笑顔の価値を、僕に教えてくれた。あれは非モテ恋愛弱者として37年生きてきた僕にとって、最高の「時」だった。

多分それは麻薬に近いと思われる。実際、恋愛中というのは、脳内麻薬の異名をとるドーパミンとかいうホルモンが多く分泌されているという。僕はその麻薬が切れて、禁断症状を起こしている状態というわけだ。

全く人間の行動様式というのは、遺伝子の継承を目的に最適化されているのだと嘆息する。最終的にはこの幸福感が生殖に繋がり、生殖を通じて遺伝子はより優秀に進化する。恋愛しようというなら、その先に生殖があることを、僕は否定しない。

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しかし現実的に考えて、僕は遺伝子弱者である。僕は身長が低く、容姿はチー牛であり、酒が飲めず、近視メガネのコミュ障である。そんな遺伝子弱者たる僕の遺伝子は継承されるべきでない。だから僕は生殖しない。つまり子供は要らない

けれども僕は幸せになりたい。生殖しないまでも、精神的な繋がりをもってきっちりその幸福感だけを掬いとる生き方を、真剣に考察したいと思う。

「大切な人と人生を共有する」という当たり前の幸せがほしい

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37歳にもなってまるで中学生の妄想レベルだが、たとえば夏祭り。浴衣の彼女にときめきたかった。祭囃子が流れて屋台の並ぶ神社の参道を、手を繋いで歩きたかったし、髪をアップにした彼女のうなじなんかを見てドキドキしたかった。

鉄道旅行なんかもやってみたかった。僕は以前箱根へ温泉旅行に1人で行ったことがある。新宿発のロマンスカーで、僕の隣は当たり前のように空席だったが、いくつかの座席はカップルか夫婦のようだった。僕は強羅温泉のとある旅館に一泊するため、1人降りた。その後カップルが同じように降りて、僕とは異なる方向へ仲睦まじく歩き去った。

翌朝僕は同じケーブルカーで大涌谷方面を目指していたが、奇しくもそのカップルとまたはち合わせた。僕は非常に苦しい思いをした。僕が1人寂しく旅館の薄汚れた天井を見上げながら眠りにつく時、このカップルは、 2人きりで甘くむせ返るような濃密な時間を過ごしたに違いなかったのだ。

あるいは日々の何気ない会話、ドライブや食事といった、2人の時間を共有しあって、人生そのものをより楽しく過ごすこと。大切な人のために尽くしあい、大切な人と感謝しあうこと。前回のデートで僕は、わずかながらも、そんな幸せな世界の一端に触れることができた。

今なら理解できるが、僕が本当に欲しかったのは、何も起こらない孤独で安穏とした日常ではなく、大切な人と人生を共有する、そういった何気ない幸せだった。だが僕は、そういう当たり前の願望を抱えていながら、何1つ行動に移すことはなかった。

当時の僕がイケてないのはわかっていたけど、毒親育ちに低身長にコミュ障と、これだけ苦労に苦労を重ねた僕に、そのような少しの幸せすらお与えにならないのかと、神様とかいうゴミカスを憎んだこともある。

僕は37年生きてきて、行きたい場所にはだいたい行ったし、見たいものは大体見たし、食べたいものは大体食べた。僕は独りで見る景色を見尽くした。僕はすでに、様々な景色を知っている。けど、同じ景色を2人で見た時はどう違うのか、僕は知らない。今僕は、そのことに高い関心を持っている。

そんなことを考えた挙句、僕は最近、婚活や恋活に手を出そうと思っている。僕が生涯を共にするパートナーを見つけるにはどうしたらいいか、真剣に考えようと思う。

恋愛から逃げてきたツケを払う。きちんと失恋し、きちんと負けたい

そして、目的はそれだけではない。僕はきちんと恋愛マーケットで戦い、そして負けたいのだ

僕は37歳に至った今になるまで、本当の本当に、恋愛をしてこなかった。

僕のブログの読者たる恋愛弱者諸君を少しだけ裏切る発言をすると、僕は人生で3回、デートをした経験がある。1回は高校2年生の時、アルバイト先の1歳下の女子とライブに行ったこと、2回目は20代後半の時、とある社会人サークルの会員とオクトーバーフェストに行ったこと、3回目は先述のエントリにまとめたことだ。

2回目と3回目は、女性の側から誘われたものだ。つまり僕は、女性をデートに誘ったことすら1回しかなかったというわけである。回数にしても、10代、20代、30代と、10年に1回というペースでしか女性とデートしていない。まるで話にならない恋愛経験値だ。

「僕はまだ本気を出していないだけ」などと寝言を垂れるつもりはないが、実際のところ、僕は意図的に恋愛を避けてきた。

思い返すと、僕は幼稚園の時から「好きな人」がいた。幼稚園で同じ組だった子、小学校ではやはり同じクラスで2人と、1年下の学年の子が好きだった。中学校の頃は2人、高校生の時は隣の席の子、授業の班組で一緒になった子、図書委員会の後輩、そしてアルバイト先に2〜3人。大学生の時は同じ学科の女子2人、社会人になってからも中学校時代からの遊び仲間の同級生がずっと好きだったし、職場でも何人かの女性を好きになったりもした。

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恋愛強者どもが結婚に至るまでにどれだけ人数の異性を好きになるのか、僕は知らない。しかし僕には20人ほど、好きになった女性がいたことになる。数だけで考えると、僕も人並みに、人を好きになることができていたのかもしれない。そしてまた振り返ると、それらの過半数は、多少なりとも僕のことを憎からず思ってくれていたのだと思う。

さすがに幼稚園の時は恋心には無自覚だったが、小学校高学年の時、僕は「初恋」の感覚があったことを今でも明確に覚えているし、友達に冷やかされながらも一緒に下校するあの空気が甘酸っぱくて、本当に幸せな気分だった。僕はその子ともっと仲良くなりたかったし、もっと話をしたかった。

中学校3年生のとき、好きになった同じクラスの子と話せるだけで、僕はとても幸せだった。つまり僕は中学生の頃くらいまでは、年相応の不器用な恋にのぼせ上がる、健全な少年だった。

けれども僕は、いつでも僕は恋愛を後回しにしていた。中学校の時は高校受験が終わってから、高校の時は大学受験が終わってから、大学生の時は就職してから、就職してからは生活が安定してから。そうやって僕はいつでも、恋愛から逃げ回ってきた

そしてまた、僕を支配し隷属させようとする毒親が、僕自身が恋愛にうつつを抜かし、毒親への服従をおろそかにすることを、許すはずがないことをわかっていた。当時のか弱き僕は、毒親が好きな人に何らかの迷惑をかけることを酷く恐れ、まるでアプローチもしなかった。

毒親育ちの悪影響。僕は傷つきたくなかった

僕が22歳のときに毒親は死んだが、毒親育ち由来の対人恐怖は引き続き残っていた。そしてそれが故に、僕は恋愛に傷つくことができなかった。当時の僕は恋愛で自分の心が傷つくことを許容できるほど、強くなかったのだ

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僕は思春期以降、毒親の養育の影響で、自己肯定感が完全に損なわれていた。あまつさえ大学受験に失敗した時に、孤独を紛らすためにネット掲示板2ちゃんねる(当時。現5ちゃんねる)に入り浸ったもので、身長が低く顔も悪い僕が恋愛などできるわけがないと、自分の精神に刷り込んでしまったのだ。

今から振り返ると、その現実逃避こそが、文字通り逃げであった。大学生から社会人になってからは、僕は自分が恋愛しない理由について、自身の外見や、あるいは女性そのものの不誠実性に求めた。毒親育ちの心的外傷トラウマが根底にあるとはいえ、同年代が続々と恋愛や結婚していく苦しい状況の中で、自分自身が恋愛できない状態について折り合いをつけて精神の安定をはかるための説明が、当時の僕にはどうしても必要だった

僕は、過去の僕がそうやって逃げてきたことを否定しない。当時の僕は間違いなく精神的に不安定だったし、自己肯定感や自信が失われた状態だったので、恋愛そのものを避けることによって傷つくことを回避するのは、適応的であったとも考えられるからだ。

そうして恋愛から逃げたのは過去の僕であり、僕自身だ。今こうして、毒親育ちが解毒され、好きだった人から(男としてではなく、1人の人間として)承認されることで自己肯定感を取り戻しつつあり「恋愛してもいい」と思っている今の僕もまた、僕自身だ。過去の僕がそうやって恋愛から逃げてきた報いは、今の僕が受けるべきなのだ。

お互い傷ついて傷つけた先に、幸せがある

今後、結婚相談所に登録したなら、僕は何人かの女性と出会い、1回か2回デートした後、彼女たちから振られるだろう。あるいは交際が本格化したとしても、結婚という段階を考慮すれば、子供が欲しくなく、身内に引きこもりがいて、酒すらも嗜めない僕のような男と番うことを、賢明な女性諸君は良しとしないだろう。

それならばそれでいいのだ。それらは僕のバッドステータスであり、脛に刻まれた傷であり、僕自身である。それらを捨てるわけにはいかない。僕はそれらを捨てないままで、幸せになりたいのだ。幸せになろうとする僕が悪いはずがない。幸せになろうと行為することが悪いはずがない。

あるいは、確率は限りなく低いだろうが、女性からの好意に対して応えることができず、僕が「振る」こともありうる。僕はこれまで、他人を傷つけずに生きてきた。僕は誰か女性を振ることによって、その女性を傷つけ、その事実をもって僕自身も傷つくだろう。恋愛弱者たる僕の分際で女性を振るとは、一体どんな了見なんだ、と。

果たしてそれは、幸せになるために必要なステップなのだろう。おそらく恋愛強者どもは、お互いがお互いを傷つけ合い、それによって自分も傷つきながらも、それでも幸せになっていく。僕が人生をより幸せにしたいと思うなら、誰かを傷つけ、自分も傷つかなければいけないのだ。

傍目から見ても、恋愛というのは不本意と不条理の連続だ。僕自身は、人を傷つけたり、自分が傷ついたりすることなんて嫌だと思っているが、その瞬間はいつでも突然にやってくる。けど僕は幸せになりたい。そんな願いを、今僕は明確に自覚している。

幸せになろうとする営為そのものが、生きることだった

おそらくそれは、不本意と不条理、そういうどうにもならない現実と合意し、受け入れること。つまるところ人生そのものなのだろう。愛こそは全てなどと青臭いことを垂れるつもりはないが、人を好きになること、好きじゃない人から好かれること、好きな人に好かれないことという、不本意と不条理の中で、傷つけて傷つけられて、その先にある幸せを掴んでいくのだ。

そうだ。幸せになろうとする営為そのものが、生きることだったのだ。そうすると僕は37年間、まるで死んでいたも同然じゃないか。弱者男性だの女性不信だの、能書きを偉そうに垂れておきながら、僕自身はまるで幸せになろうとせず、つまるところ生きていなかったのだ。だから僕は、幸せになれなかったのだ。

時すでに遅しかもしれないが、僕は生き直そうと思う。恋愛から逃げてきた過去の自分の報いを受け、その骨を拾ってやろうと思う。理由はどうあれ、僕は恋愛を頑張ってこなかった。実のところ、今まで通り、恋愛しないままで恋愛できなかったと語ることもできなくはない。けれども今の僕は、恋愛しようとして恋愛できなかったと語りたい。

毒親育ち。身内に引きこもり。低身長チー牛メガネ。酒飲めない。コミュ障。これらが僕の手札運命だ。年収だけは運良く年齢相応以上であるが、それ以外は恋愛においては不利な条件ばかりだ。

負けて恋愛や婚活市場から退場する可能性は非常に高い。けれども僕は、可能性を追う。幸せになるために。運命に勝つために。生きるために。九分九厘ダメでも、1%の可能性がある限り、戦いを止める理由にはならない。

そして今の、幸せを目指そうとする僕なら、幸せになるために必要な傷を、受け止めることができる。恐らくそれは、恋愛強者たるかつての友人たちも、その過程の中できっと負ってきたものと同等のはずだ。彼らからはまる10年遅れてしまったが、僕はもう逃げない。恋からも。失恋からも。幸せになることからも。そして生きることからも

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