非モテ弱者男性のブログ

旧「非モテ系のままで生きていくブログ」から、弱者男性ブログに進化しました。レベル36の限界中年/異常独身/非モテのブログ。もう人生折り返しました。残りの人生を頑張らないで生きていこうと思います。なおこのブログには、モテる方法は1つも書いていません。

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中学から高校までに恋愛できたやつって勝ち組だよな

クリスマスが終わり、年の瀬が近づくと、彼女がいたことがない僕は、今年も当たり前のようにモテなかったなぁなどと嘆息することがある。

僕は、中高生時代の過去に異性と付き合ったことのある現非モテとは一線を画している。なぜならそいつは元モテていたからだ。僕はもちろん非モテ仲間として彼らを歓迎するが、非モテの純度は僕のほうが上だ

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少年の頃から非モテだった

これまでの人生で、1人でも彼女がいてくれることがあったら、僕はこんなにも鬱々とした気分にならずに済んだかもしれない。

小学校の頃はまだいい。問題は中学校から高校くらいの時期だ。思春期になる頃には、僕がどちらの側にあるのかよく理解していた。僕は明らかに非モテ側の人間だった。背も低く顔も悪くスポーツもダメ、それならば頭がいいかと言えばそうではなく、半分より少し上くらい。まるで女子と仲良くなれる要素がなかった。

それでも遺伝子が、生殖を求めていた。

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最も生殖能力が高まるこの時期に、最も性的魅力あふれる同世代の異性と番うことができたなら、それはもうそれだけで残りの人生を生きていけるくらいの幸福に違いない。

非モテが想像するモテ男の世界

放課後一緒に帰ってゲーセンでUFOキャッチャーでぬいぐるみを取ったり、夕焼けの公園で語り合ったり、誕生日をこっそり祝ったり、夏祭りで花火を見上げながら寄り添ったり、冬のイルミネーションを見て綺麗だとか言ったり、クリスマスでは一緒に過ごしたり、バレンタインデーにはチョコレートをもらったり、ホワイトデーでは周囲に冷やかされながらお返しのキャンディをあげたり。

僕の周りの既婚者を観察してみると、女の方から近づいたり告白したりするケースも少なからずあるようだ。目がハートになるとか、声が高くなるとかいうのである。

非モテの僕は、恋愛力学においては女>>男であり、男は女に振り向いてもらうためにさまざまな努力を重ねる必要があると認識していた。しかし衝撃的だったのは、女の方から男に振り向いてもらおうとすること、つまり男≧女の力関係が成立することだ。これはイケメンDQNやスポーツ万能男だけに起こるものでもないらしい。いわゆるOKサインというやつである。

僕はそんなサインを貰ったことないので分からないが、他人が見れば分かるらしい。それをもらったことのある男は(少なくともその時は)非モテではない。

OKサインを受け取ったことのあるやつが憎い

ああ、憎いな。妬ましいな。OKサインをもらったことのあるやつが。それにしても、僕もそういう経験がしたかった。もうかなわないけれど、それが本当に人生の心残りだ。投げ捨ててしまいたい青春コンプレックスだ。これは子泣き爺のように、僕の背中に重しとなって取り憑いている。

中学のときにクラスのあいつとあの子がつきあってるって話題になったとき、
そういうのはませた一部の人達だけで、自分を含む大多数にはまだ早いのだと思った。

高校のときに、中学では大人しかったあの子が今はやりマンなんだって話を耳にしたとき、
セックスなんてこういう不良が面白半分にしているもので、
ほとんどの高校生には無縁のことだと思っていた。

大学で同じサークルの先輩が彼女と同棲しているなんて聞いたときには、
ほとんどの大学生は普通に一人暮らししてるし、
恋愛がトントン拍子に進んだ一部の人達の話だなと思っていた。
しかし大抵の大学生が恋愛したりセックスしていることは想像したこともなかった。

社会人になり、知り合いが結婚するって人伝いに聞いた。でもまだ結婚するやつなんて少なかったから、まだ俺には関係ないなと思った。
しかし同年代の大多数は恋愛経験を積み、すでに恋人をみつけているということに気づいて愕然とした。

高校生くらいになって、周りにも彼女ができ始めて焦った時期もあった。高校生とも大学生ともヤッたことはないが、おそらくそれは天にも上る気持ちだろう。最も強い性欲を持て余すときに、最も生殖適齢で美しい異性に自らの精液を放つのは。いいなぁ。羨ましいなぁ。妬ましいな。勝ち組だな。ムカつくな。憎いな。死んでくれないかな。

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いや、本当に、僕は周りの人間が当たり前のようにセックスしているなんて社会人3年目くらいまで全く信じていなかった。彼女がいるらしいことは聞いたことはあったけど、マジでヤることヤッていることを実感したのは、20台中盤の時、友人から子供ができたとの第一報を知ってからだった。それまでは本当に、セックスに対して現実味がなかった。

一方で、なぜ周りのやつに彼女ができるのに俺にはできないのだ?誰それはあいつとヤッたらしいが、そのヤリ○ンだという女となぜ僕はヤれないのだ?などと真剣に疑問に思ったりもした。僕は髪型や服装や音楽の趣味を変えてみたりもしたけれど、何一つ結果が出なかった。

恋愛やセックスは、若くなくては意味がない

時は過ぎ、僕は大人になって多少の小遣いができて、風俗で嬢に制服を着せてプレイしてみたりもしたけれど、それはやはりただの代償行為にしかならなかった。15年前の同年代なら、肌はこの嬢よりも滑らかで、胸は張りがあり、フレグランスなしでもフェロモン溢れる匂いにむせ返ったはずだ。

僕は痛烈に実感するのだが、あの性欲あふれる当時でなければ、やはり恋愛もセックスも意味がないのだ。それができなかった僕は、今何がどうあっても、金を稼いでも、どんなにいい女を抱いても、負け組だ。しかも金を稼いだりいい女など抱けないのだから、本当に救いようがない。

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本当に今僕は、何をどうしたら救われるのだろう。マジで大学生か社会人2年目くらいまでの若い女に、恋愛という形で無条件で愛されない限り、僕は救われないに違いない。あぁ、僕は35歳にもなって、純愛を求めているのだ。純愛!金や打算などの大人の事情を一切廃した無償の愛!そんなものを未だに僕は求めているのか。一体僕はいつまで子供の気分でいるつもりなのだ。

僕はそんなもの求めてはならない。若い女なら尚更、僕なんかと関わらず、もっと若くていい男と関わるべきだ。僕を受容してくれることを求めるなんて、おこがましいにも程がある。

もちろん若い女が僕に親しくすることは、太陽が西から昇らない限りないのだが、一応言っておこう。あっちへ行くがいい。日の当たる方へ。そして幸せに生きるがいい。若い女の未来に、僕のような暗黒は無用である。

僕が思うに、その子供が将来恋愛ができる人間に育つかどうかは、この少年期の異性との関わり方で決まってくるのかもしれない。本当は少年期においては、性的に奔放であることが正解だったのだ。人間なんて動物なんだから、思春期が来れば発情するし、それをきちんと受け止めてくれる環境があることが重要だった。

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僕のように、家庭が不安定で中学校以上になっても交友関係に親の干渉が入るような機能不全家庭では、そのような奔放さは受け入れられるはずもなかった。親ガチャ失敗である。

実際のところ、僕のような彼女いない歴享年の人間は、女子と遊びに行くなど思いもよらないことだった。中学校や高校のときは人並みに片思いはしたことがあるにせよ、親密になることはなかった。いつも誰か別の男と仲良くしているさまを、僕は見ているだけだった。

僕は今、女性と仲良くなる方法が全くわからない。そのまま大人になってしまった。こうして僕という負け組非モテは完成した。

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