非モテ恋愛弱者のブログ

旧「非モテ系のままで生きていくブログ」から、恋愛弱者男性ブログに進化しました。レベル36の限界中年/異常独身/非モテのブログ。もう人生折り返しました。残りの人生を頑張らないで生きていこうと思います。なおこのブログには、モテる方法は1つも書いていません。

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有機野菜とか無添加とか食べても早死にする件

諸君は有機野菜とか無添加食品を食べるだろうか?食べるなら何のために?健康で長生きするためか。それはいいことだ。多少割高であっても、健康と長生きのためならそれらを食べることもまぁ理解できる。

しかし、それらを食べていた人間が早死するとしたら、どうだろうか?

僕の母親は、有機野菜とか無添加食品が大好きだった。「食べてはいけない」みたいな本を読んで影響されて、僕たちには無添加だとか有機野菜だとかばかりを食べさせたのだ。子供のときから僕は、それらの食材が割高であることを知っていたから、別に裕福でも何でもない僕の家庭で、なぜそのような食材を好んで買うのか、疑問に思っていた。

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僕がマクドナルドが食べたいとか、ポテトチップスが食べたいと言えば、母親は激怒した。あんなものは活性酸素と酸化した油脂、そしてわけのわからない食品添加物の塊であるから、そんなものを食べたら僕は不健康になる。ガンにだってなるだろう。体も大きくならない。だから絶対に食べてはいけないというのだ。

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僕は、母親が買ってきた無添加無糖のヨーグルトが大の苦手だった。母親は、ヨーグルトを食べれば背が伸びると信じて、クラスで最も背の低かった僕に、無理やりそれを食べさせたのだ。その隣でで4カップ128円で売っているヨーグルトのほうが甘くて美味しいことを知っていたから、僕はそれを要求したが、受け入れてもらえなかった。無添加無糖のヨーグルトは妙に酸っぱくて、子供にはとても食べられたものではなかった。

僕が食べることを許されなかったもの

あるいはソーセージやベーコンだ。お子様定番で、今でも僕は大好きなのだが、シャウエッセンなどの多くの加工肉は、鮮やかな肉色を保つために、発色剤として亜硝酸ナトリウムが添加されている。これが許されなかった。まぁ実際に亜硝酸ナトリウムは発がん性が認められてはいるが、食品に入っているのは微々たるものだ。

漬物も食べることを許されなかった。黄色3号とか青色1号とかの着色料が添加されている食品を僕が食べることを、母親は許さなかった。僕は黄色の沢庵が大好きだったが、もちろん僕にそれを食べさせることはなかった。外食のときに定食で出てくる鮮やかな漬物は、僕にとってはエビフライに次ぐご馳走だった。

ジャムもそうだった。市販の安いジャムというのは、増粘多糖類としてキサンタンガムなどが添加されているが、これらも許されなかったので、水っぽく酸っぱいジャムしか食べたことがなかった。

カップラーメンもそうだった。塩分や脂質が多く食品添加物もてんこ盛り、さらには油の酸化によって健康を害すると言われて僕は育った。

もちろんコーラやファンタのような、子供が好む飲み物は一切与えられなかった。僕は1リットル298円もする謎のブランドのオレンジジュースを飲まされていた。それはひどく酸っぱかった。

無添加の食品は味に劣るのだ。

食品添加物とは少し違うが、国産であることにもこだわっていた。外国産の肉や大豆、小麦製品のほうが安いことは子供ながらに理解していたが、頑なに割高な国産品を選んでいた。大量生産や輸送の課程の中で、農薬が使われていることが気に入らなかったようだ。

2つの「悟り」

実際のところ、このように健康に気をつけて、可能な限り食品添加物を摂取しなかったにもかかわらず、僕の母親は60歳で肺がんで亡くなった。

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このような「偏食」は、僕に2つの悟りを与えた。

1つ目は、どれだけ食べるものに気をつけて健康にしたとしても、ストレスや受動喫煙などの外的要因によって、人間の健康は容易に崩されることだ。食べるものに気をつけただけ食費は高騰したし、また食の選択肢も狭まった。それでいて平均寿命よりもはるかに短い生涯を終えているのだから、食べるものよりもストレスとか受動喫煙とか、そういう要素を遠ざけるべきであった。

率直に言って、無添加有機栽培へのこだわりは、人生の品質を高めるのに、あるいは健康な体で長生きをするのに、少しの役にも立たなかった。

2つ目は、このように食べるものを制限した結果、その反動で食品添加物を使った食品を大量に食べるようになる、ということだ。これはゲームや漫画を禁止されて育った子供が、大人になってオタク化しゲームや漫画に没頭するのと似ている。僕は今でもカップラーメンやスナック菓子は大好きだし、鮮やかな色の漬物や、きれいな赤みをしたソーセージなどを毎週のように食料として買い込んでいる。

僕を見るがいい。親の管理から離れたなら、子供は我慢をしなくなる。しかもその子供は、プロスポーツ選手を除く同年代の誰よりも、おそらく健康体である。僕は肥満にもならず、病気1つもしていない。

健康食という「意識高い系」

母親は食の細い僕をひどく叱ったが、僕だって目の前に美味しいソーセージやベーコンや漬物があったなら、毎日でもご飯を毎食3倍は食べたことだろうし、ヨーグルトだって4パックを1人で食べきったはずだ。大して美味しくもない食品を与えて食べないと叱るのは、後から思えば虐待でもあった。そしてその有機栽培やら無添加やらの価値を理解せよと要求するのは、子供の能力を超えたことであり、誤りだった。

僕は今、添加物や成長剤を使った食品でも、まったく問題ないと思っている。実際のところ、どの食品にも添加物は使われているが、様々な検査を通して、健康に被害を与えない程度にその量は制限されている。だからわざわざ心配する必要もなかったのに、なぜこうなってしまったのだろうか。

僕の母親は、完璧主義者であった。今で言うところの強迫性障害のようなものだ。つまり失敗をひどく恐れる。母親は僕に正しい食品を与えようとした。その根拠となったのが冒頭の「食べてはいけない」という本にまとめられたものだったが、それに従って僕に食事を制限した。僕の祖父母にも、食事についてひどく口出ししていたことをよく覚えている。

母親は僕の体が小さいままであることで、子育てが「失敗」に終わることを恐れていたのだ。それを取り返そうとして、僕に様々な健康系食品を与えた。母親はその対処が誤っていないことを示す必要があった。だから母親は「自分が正しい」ことを誇示したがった。

授業参観のときである。食品貿易について学ぶ社会の授業だったと思うが、「我が家は有機野菜や無農薬の食品を使っている」と話していたことを覚えている。母親は「健康に気を使わないあなたたちとは違うのよ」という雰囲気を醸し出していた。その子供がクラスで最も背が低いのだから、始末に負えない。

しかも、後から知ることになるが、身長というのは遺伝的要素が極めて大きく、よほど僕が無理をしない限り、身長160cmの今の体以上に大きくなることは無理であった。それならばやはり、食べたいものを食べたいだけ食べさせてもらったほうが、多少なりとも背が高くなったかもしれなかった。

食べたいものを食べたいだけ食べさせる

今から思えば、子供には大きくなってほしいので、食べたいものを(栄養バランスを整えた上で)食べたいだけ食べさせて、食べる量の上限を引き上げつつ、食事自体を楽しむという文化的習慣を植え付ける必要があった。そしてその必要性において、結局僕の親は「失敗」したのだ。

今僕は食事の楽しみはないし、毎日同じものを食べている。毎食、納豆と卵とご飯2杯を食べるだけなので、毎日の食事時間は1回15分あれば十分だ。

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僕は、母親をこのような有機栽培無添加の狂信者へと変化させた健康食品の活動家が憎い。とくに、もう故人だが、「危険な食品」を著して僕の母親を狂わせた郡司篤孝を絶対に許さない。

それにしても、健康な食事に気を使っていた本人が他人より早死しているのだから、詮無いものだ。これらの経験から僕は、有機栽培やら無添加やらにこだわる親諸君に伝えたい。僕と同年代くらいの人は、多くが小さい子供の親になっているはずだが、どうか、僕の母親と同じような、健康宗教者の養分にならないでほしい。そして子供を食事嫌いにしないでほしい。

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