非モテ恋愛弱者のブログ

旧「非モテ系のままで生きていくブログ」から、恋愛弱者男性ブログに進化しました。レベル36の限界中年/異常独身/非モテのブログ。もう人生折り返しました。残りの人生を頑張らないで生きていこうと思います。なおこのブログには、モテる方法は1つも書いていません。

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どうせモテないからせめて老害になる前に死にたい

老害の予兆である3つの話題

新入社員が配属されてきた。少なくとも表向きには、こんな僕にも敬意を持ってくれている。これはいけない。こんなに謙られたら、僕は増長し失礼なやつに成り下がってしまうだろう。僕は失礼をかましていないだろうかといつも以上に気を使う。

もし会社に若い人が入ってきたのなら、僕たちには3つの忌避するべき議題がある。説教、昔話、自慢話である。

これら3つの話題を出したときの若い人の反応は決まっている。若い人は説教には有り難いことだと感謝し、自慢話や昔話には自分の知らない世界の話をしてくれたと、やはり感謝するだろう。

老害は無意識に感謝と尊敬を要求する

しかし、実際に若者が思っていることは次のとおりである。この老害は、おそらく自分を称賛してほしいのだ。すごいと言ってほしいのだ。まぁ赤の他人の武勇伝やありがたいお説教など聞く耳持たないが、まぁここは大人しく気分良くご高説を垂れ流してもらってやり過ごそう。ひとまずこの老害が、そういう気遣いを若者に要求するゴミカス野郎であることはよく分かった。

若者どもから見れば、老害どものこういう話は、ただの感謝と尊敬の収集機械のように思えているはずだ。僕たちはそれを恥さらしだと思うことにしよう。

リスペクトを心がけるだけで、老害は遠のく

そもそも僕たちは老若男女問わず、相手をリスペクトできる人格者である。わざわざそうやって尊敬を集めなくても、日々の行いで周囲は勝手にリスペクトしてくれるし、あるいは自発的に他人をリスペクトするだろう。そういうわけで、説教や自慢話を嬉々として語る老害どもは、他人にも自分にもリスペクトを要求しないとリスペクトされない、人格的に劣った人間であると考えられる。

このようなわけだから、僕たちは常にリスペクトを失ってはならない。それは老若男女を問わない。しかし実際のところ問題なのは、リスペクトを維持することの困難さである。人間というのは怠惰なもので、他方からリスペクトを受け取ることができた場合、容易に自分からリスペクトを払わなくなるのだ。

中学校とか高校の部活動の先輩後輩関係を僕は思い出すが、自分が先輩にやられたことを、自分の後輩にし返すということがあった。こうして下らぬ上下関係ができるわけだが、話はそれと同じことだ。

僕を持ち上げてはならない。僕に必要以上の感謝はしてはならない。僕は仕事だからやったことであり、若者が仕事のスキルや感覚を覚えて戦力になれば、僕の仕事が少し減って楽できるし、うまくすれば全体の効率が上がって給料も良くなるかもしれないという、極めて打算的な発想から対応しているものだ。感謝される理由も特にない。

こうして強く拒絶しないと、あっという間に調子に乗って、構ってちゃんのリスペクトレス、称賛欲しさの老害になりそうな気がして、僕は自分がとても怖くなる。

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老害になる前に死にたい

どうか、僕を老害にしないでほしい。僕は老害になりたくないのだ。老害というのは僕が最も嫌う人種だ。老害は傲慢であり、知性と他者へのリスペクトに欠けるからだ。それでいて他人に害をもたらす、全くもって社会のお荷物にしかならない無価値な人間のことである。僕は、自分が老害になるくらいなら、その前に死んでやろうと思っているくらいだ。

僕は老害になって社会に迷惑をかけたくない。悪質なクレームを延々とオペレータに説教する暇人になりたくない。コンビニ店員に社会の厳しさを説く老人になりたくない。嫌だ。嫌だ。醜い。醜すぎる。僕は僕自身が将来そうなることを許さない。

・自分の人生に自信があり、自説を変えない
・多様なライフスタイルを認めず、古い価値観を若い人に強いる
・時間を持て余しているので、とにかく話がくどい
・短気でせっかち、怒りっぽい
・老人であることを利用する

老害の特徴には、このようにいくつかポイントがあるが、老害を象徴するのは、とにかく「自分が最も正しくてその他大勢は正しくない」という姿勢と、「それを自分より若い世代に押し付ける」という行動であろう。

老害は社会の発展を阻害する

まったく、老害というのは、クレーマーとなって他人に不快を与えるばかりではなく、社会全体に対しても迷惑をかける。他者に対して威圧的に振る舞うことによって、社会がそれを忖度し、より正しい社会の発展や改善を邪魔してしまうのだ。

老害となってしまった人間は、旧い情報を堅持し続け、もはや新しい情報を蓄積することはできないのである。これはまさに、知性がこれ以上進化しないこと、高度化しないことを意味する。さらには旧い情報のままで他人に正しさを語るものだから、他人の知性の向上においても阻害要因となりうる。自分の存在が、自分自身の知性を高めることもできず、また自分以外の人間の知性の向上を阻害する要因となりうるのだ。

一方で僕は合理的かつ知的である。だから老害になることはそれらの僕の長所を捨てることである。それは僕にとって屈辱的であり、僕自身の尊厳が蹂躙された気になる。僕が思うに、僕がこのような状態に陥ったならば、僕は迷わず速やかに死ななければならない。僕の存在は社会の害悪になるのであるから。そんな僕に存在価値はないのであるから。

僕は老害にはなりたくないし、今でも老害と呼ばれる連中を嫌悪しているのであるが、ある時自分が、その嫌悪していた老害と呼ばれる人種に変貌していたことを知るかもしれない。僕はそれが恐ろしくてたまらないのだ。聡明にして利発であるところを目指した僕は、歴史の彼方へ過ぎ去ってしまった。あとは知性のなさに害悪を込めて、それを社会に振りまきながら生きていくしかないのであろうか。

僕はそんな自分が許せないのだ。だから僕は、自分に老害の兆候が見られたら、すぐさま死ぬ準備をしなければならないのだ。人によっては30代から老害化は始まるという。僕に残された時間は、おそらくそんなに多くはない。僕はやはり、生き急がなければならない。老害になる前に死ななければならない。

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