非モテ恋愛弱者のブログ

旧「非モテ系のままで生きていくブログ」から、恋愛弱者男性ブログに進化しました。レベル36の限界中年/異常独身/非モテのブログ。もう人生折り返しました。残りの人生を頑張らないで生きていこうと思います。なおこのブログには、モテる方法は1つも書いていません。

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なぜ社会不適合者はノーマスクになるのか

ノーマスクだから社会不適合者なのか、社会不適合者だからノーマスクなのか。

今諸君がマスク着用に抵抗を感じていて、コミュ障や社会不適合者を自覚し苦しんでいるなら、今は自尊心を回復するチャンスかもしれない。大衆社会が誤っている時、社会不適合者の側は正しくなるのだ。

社会不適合者とノーマスク。一定の親和性がある

正直このエントリのタイトルは、最後までどのようにするか決めかねていた。社会不適合者とノーマスク、僕には明らかにその2つの要素には関連性があると考えているのだが、いわゆる鶏と卵で、帰結関係においてどちらが発生源なのかが整理がつかなかったからだ。

このエントリでは、コミュ障にして社会不適合者を自負する僕が、感染拡大防止の観点以外でなぜマスク着用に抵抗するのかを説明したいと思う。

まずは僕がいかに社会不適合者であり、アスペルガー症候群(AS)の気質があるかを端的に説明する必要がある。僕の性格は一言で言えば、人を傷付ける真実を、人を傷つけない虚偽よりも重視する。誰かの感情を傷つけようが、最も重要なのは科学的かつ客観的な事実だけだ。感情には何の価値も見出さない。周囲の言動を一切顧みず、摩擦を発生させることを厭わない。

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ついでにASの簡易診断によれば、やはりASの傾向があるという判定になっている。このテストでは、「他人の気持ちがわかる」などの項目もあったが、僕は年齢を重ねることによって他人の気持ちを推測することができるようになっただけであり、本当に他人の気持ちがわかるようになったわけではない。一切共感がわかないからだ。

あるいはこうも言える。適職診断で哲学者とか研究者、芸術家と判定される僕のような人間は、そもそも社会人として集団の中で生きていくのに向いていない。そういうわけで僕は社会不適合者である。

azscitechfest.org

さて、いよいよ本題に入ろう。僕は今や、日々の通勤電車ですらノーマスクである。そしてその態度は、明らかに社会的に誤っている。社会の要求はいついかなる時もマスク着用だ。それに従わない僕は反社会的分子であり、あるいは社会不適合者である。

いや、果たしてそうだろうか?誤っているのは社会や大衆の側ではないか?そもそも、大衆どもの、自分達が正しい側であるという信念は、誰が保証してくれるのだ?

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少なくとも僕は、反社会的な俺がかっこいい、みたいな発想でノーマスクであるわけではない。僕は、社会からの要求など一切考慮することなく、マスクをするかしないか、様々な基準系によって判断している。僕の判定はこうだ。

  1. マスクをしたいか、したくないか?→可能な限りしたくない
  2. 僕は体調が悪く、咳やくしゃみを漏らさない必要があるか?→ない
  3. 感染拡大防止の目的にマスクは役に立つか?→役に立たない
  4. マスク着用した結果、感染者数は制御できたのか?→できていない
  5. マスクを着用しない場合、サービスを受けられないなどの不利益があるか?→飛行機の搭乗や一部の飲食店を除き不利益はない

僕が満員電車でノーマスクなのは上記の判定があるからだ。人それぞれで項目や点数配分は異なるのだが、マスクをするメリットが上回ればマスクをすることになるだろう。

かつてマスクを着用せずに飛行機を降ろされた乗客が話題になったが、マスク着用に抵抗した結果「移動する」という目的を果たせなかった点で、彼はその不利益の判断を誤ったのだ。僕たちノーマスク派は、この辺りのバランス感覚を身につける必要がある。

大衆に支配されないから社会不適合者なのだ

今、僕の周りにノーマスクは1人もいない。僕は今、初冬の爽やかな風を直接的に呼吸できることに優越感すら感じている。僕は諸君のようなマスク着用の要求に唯々諾々と従う羊のような畜群とは違う高次の存在であり、だからこそ風を感じられている。これは僕の特権だ。

ノーマスクは社会不適合者の象徴なのかもしれない。そしてそれは僕自身の怜悧さ、冷静さ、高尚さの証左にすらなる。そしてそれは、さらに社会不適合者としての態度を加速させてしまうから良くない。

僕はここで、進化心理学で提唱されたAS気質の存在意義を思い出す。そもそもASじたい、遺伝的な影響が強いという調査結果があるそうなので、現代においてコミュ障気質とされ忌避されるASが今でも現れるのは、僕たち人類の進化の過程において、遺伝的にそれを必要としてきたからだと考えられる。

junny-policies.hatenablog.com

まずはAS気質から、今回のノーマスク行動を読み解いてみよう。

おそらくASの集団における役割は、危機察知だった。ASは規則性を重視し、あるいは敏感な感覚器官(特に聴覚)を持ち、通常と異なる現象に対しての感度が高い。人類が穴ぐらで集団的生活を営んでいた時、野生動物の来襲などの危機や天候の異変を察知する役割を持ったと考えるなら、その能力は重宝されたはずだ。

僕が考えるに、マスク着用に抵抗する人というのは、この「危機察知能力」を働かせているように思う。ならば、ASとしての僕は、何の危機を感じているのか。

おそらくそれは感染症そのものではなく、自由権生存権の喪失する危機にあると考えている。このあたりの説明は、以下のエントリにまとめているので詳細はそちらに譲ることにしよう。

junny-policies.hatenablog.com

16 Personarityという性格診断によると、僕はINTPまたはINTJであると判定される。これはコミュ障の判定結果として頻繁に現れるものである。内向的であり、論理的であり、真実を何よりも重視し、感情を一切理解しない。真実を重視し感情を重視しない気質を持つINTJやINTPなどのコミュ障は、極めて純度の高い合理主義者でもある。

この点からもノーマスクを読み解いてみよう。

www.16personalities.com

大衆は愚かだから専門家に洗脳された

人間社会というのは、それほど合理的に行動することはない。過剰な自粛が経済に悪影響を与え、巡り巡って集団の生存が脅かされるという帰結は合理的ではあるが、そのような見通しを誰もすることがなかった。

言葉を選ばずに言えば、大衆というのは、僕たち合理主義者ほどに論理的ではなく、また全体を俯瞰して観察できる僕たちと異なり、自分の周囲3mしか観察できない。

すでに統計として上がっているところによれば、コロナ感染者自体は若年層も多いが、そのほとんどは軽症か無症状である。一方で死者は70台以上の老人に集中しており、その平均年齢は87歳だ。日本の平均寿命と変わらない。

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また2021年11月頃には、東京都の1日の感染者数は10人程度まで減少している。

これをどう見るか。一言で言えば「コロナは終わった。まだ感染対策しているやつは臆病者かただの馬鹿か、あるいはその両方だ」と僕は考える。

こうして大衆を見切り、失望し、見下している合理主義者は一定数存在する。ツイッターの論客にも何人か確認できたし、僕もフォローしていた。彼らは警鐘を鳴らしたが、そういう視野が狭く論理的でもない連中が多数派であるから、それは全く届かなかった。また大衆は、そんな大衆どもと同じだけの視野と論理性しか持たない専門家どもに、あっさり流された。

junny-policies.hatenablog.com

また、専門家どもがかつて、42万人死ぬだの、2週間後にはニューヨーク(のような医療混乱の様相)になるだとか言って日本中を恐怖に陥れたことを、僕は深く憎んでいる。僕はINTJなので、全ての仮説や見解はすべからく検討されるべきだと思うし、悲観的にはそのようなこともあるだろうと思っていた。

実際未知の感染症であることはそうだったし、だからこそリスクを重視するというアプローチも間違いではなかった。しかし専門家も大衆も、間違うことを忌避した。実際、そんな状況下で立てた仮説は、多くの誤りを含むものだし、誤っていることがわかれば修正すればよかった。

しかしてそうはならなかった。あの連中は今でも第六波がどうのこうの宣っているが、一体何を言っていたのか、誰か検証し追及する者があっただろうか?言って終わりか?仮説が事実でなかった時、科学的な検証もまともにせずに好き勝手に妄言を垂れ流すのが、専門家の役割なのか?

いや、専門家という名の大学教授や感染学博士というのは、科学者ではなく宣伝大臣か何かなのか?それならば科学に対して砂を引っ掛けるような、検証過程を含まないあの態度も納得できる。

まぁそういうわけで専門家どもは反駁の余地なくゴミクズなのだが、それに対して羊のように行動を制御される大衆どもこそゴミクズに違いない。僕はそんなゴミクズにはならぬ。ゴミカスな大衆どもに社会不適合者と呼ばれるのは、それはそれで名誉であるようにすら思う。それは僕が怜悧で明晰であることの証左にもなるだろうから。

大衆は自分を善良で正しいと思っている

話を戻そう。専門家やテレビの報道や、政治家どもの要請に対して大衆が羊のように従うのを見ていた僕は、同調圧力の恐怖を覚えた。大衆が一方向に流されて破滅的な結末を迎える歴史を、僕は記憶していたからだ。その結果、すべての人がマスクをしている。今やマスクは、そのような全体主義の象徴であるような気さえする。

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ナチス・ドイツことドイツ第三帝国は、善良なドイツ国民が民主的に誕生させた。この連中は戦後こそ被害者ぶっているが、ユダヤ人を積極的に密告して絶滅収容所に送り込んだのも同じ連中である。大衆は、マスコミが宣伝すれば容易に流される、怠惰で愚かな人間の集まりである。

大日本帝国が太平洋戦争に突入したのも、メディアが開戦を煽って、善良で間抜けな国民どもがそれに扇動されたからだ。漫画「はだしのゲン」の主人公ゲンの一家は、戦争賛成派の近所の人から迫害され差別されていた。ゲンの父親が反戦派という社会不適合者だったからだ。

今の価値観では、ゲンの父親の方が正しかったように、社会というのは簡単に道を誤る。その誤りを正そうとする人間を迫害するのだ。

「社会の一般常識」の不合理性を何も検証しないことが大衆であり多数派であるからこそ、合理的に物事を捉えられる僕たち社会不適合者は、現代ではノーマスクによってその不適合っぷりが際立つことになる。

最後に、僕が要求しているのはとても簡単なことで、マスクをしない自由が認められることだ。今やマスクは全体主義同調圧力の象徴である。マスク着用が続く限り、コロナ禍は終わらない。全ての人は自由であるべきであり、マスク着用を強要されてはならない。

コロナ自粛のせいで経済は悪化した

世の中がみんなバカばかりなら、本当にバカなのは自分かもしれない、という格言があるだろう。あれは嘘だ。本当に世の中はバカばかりだし、大衆とはそのバカの集まりだからよく間違える。しかもそのことについて反省も恥も感じないのだから、まるで始末に負えない。

愚鈍な大衆どもは周囲3mしか見えていないので、自身がコロナに感染するリスクしか認識しなかった。社会全体の経済を停止したら何が起こるか考えもしなかった。頭があまりにも悪いので、自分の為した自粛によって経済が縮小し、結果として自分の生活が追い込まれるリスクなど、想定もしていなかったのだ。

その結果が今である。リスクの天秤の図り方が極めて下手くそであることがよく分かる。大衆どもが自粛し、一体何を得たというのか。どれだけの若者の青春が犠牲になり、あるいは仕事を失い、その生贄によって何年か生かされた老人どもを、諸君は醜悪だと思わないのか。

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ちょうど今日、日本の7~9月のGDPが市場予想を下回ったというニュースも流れた。いつまでもコロナで騒いで自粛なんかしているからだ。この時ほど心の底から「ざまぁwww」と思った瞬間はない。

僕は自粛などやめて経済を回さないと巡り巡って自分たちが苦しくなると2020年の春からずっと主張してきたのに、感染対策が大事だと言ってそれに同調する者はなかった。

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僕が大衆どもよりも論理的であり、先見の明があったことは明らかだ。アメリカやイギリスでは、すでにコロナは過去の出来事だ。エンデミックという、コロナがよくある感染症の1つとみなされる状態になった。

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だから経済は回復基調だ。サッカーや野球の試合も、満員のスタジアムで、大声の声援が飛び交っている。日本よりも遥かに感染者数の多い国が、だ。彼らはやはり過去の世界大戦を勝ち抜いているだけあって、合理的だし、リスクを取ることに対して腹をくくっていて、かつそのバランス感覚に長けている。

諸君はこれをどう捉える?僕は日本人はただの臆病者だと思うし、劣等人種の集まりだとすら思う。

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僕たちはエンデミックを目指さないといけない。そのためなら社会不適合者でも何とでも呼ぶがいい。全ての人々が自由を取り戻すために、僕は社会不適合者であり続けてやる。

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