非モテ恋愛弱者のブログ

旧「非モテ系のままで生きていくブログ」から、恋愛弱者男性ブログに進化しました。レベル36の限界中年/異常独身/非モテのブログ。もう人生折り返しました。残りの人生を頑張らないで生きていこうと思います。なおこのブログには、モテる方法は1つも書いていません。

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立憲民主党の政治センスの無さは異常。野党が負け続ける理由は?

このエントリは2021年9月に書いたものだが、どうも10月に解散総選挙の機運が高まっているようだと報道されている。菅内閣自民党の総裁選を見据えて、内閣改造やら党内人事やらいろいろ動かそうとしている。

自滅や失点ばかりの自民党

実際のところ、自民党には多くの自滅や失点がある。東京オリンピックをめぐる混乱や、新型コロナウイルス感染対策、あるいはどこぞの環境大臣のレジ袋の有料化など、国民の反感を買うような政策ばかりを推進してきた。僕自身も、現在の菅政権のリーダーシップの欠如には呆れ果てており、自民党という政党は全く支持するに値しないと思っている。

しかし、政権交代をするべきか?という質問には、否と答えざるを得ない。理由は、野党は自民党以上に国民の声を理解していないと思われるからだ。

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自民党の失点とは何だったのか

レジ袋の有料化

例えばレジ袋の有料化については、ただただ僕たち国民のコミュニケーションコストが増えただけで終わった。何しろ排出される廃棄物体積の0.4%ほどしか占めていないレジ袋を削減することで、一体何が意味があったのだろう。そもそもこの小泉進次郎とかいう無能な働き者は、気候変動行動サミットにおいてまともな発言すらできなかったじゃないか。

野党どもはこの男の大臣としての資質を問うべきではなかったのか。「環境保護政策に反対する者」というレッテルを恐れて、諸君らはまともに反対することなく、可決されてしまった。これこそ小泉の思惑通りだった。そして野党諸君は、「レジ袋の有料化を止められずにコミュニケーションコストを増やした無能」だと国民に認識されてしまったのだ

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率直に、これは自民党の失策である。国民を啓蒙しようとする鼻持ちならぬエリート思想や、そもそもの政策の有効性(「意識を高める」という定性的な目標ばかりで、プラゴミを○%減らすという定量的なKPIを持たない)、そして末端のコンビニ従業員やその利用者層のコミュニケーションコストの増大等、論難できるポイントがいくつもある。

それなのに野党は反対しないのか?黙って見ているだけか?何ならこの間の森元首相の女性蔑視(?)発言よりも、国民生活に直接的に関わりのある問題として重要度が高いと思われる。このあたりの優先順位の付け方がヘタクソなのが、今の野党の政治的センスのなさを表している。

環境問題に反対するという行為は、一見して反動的に思える。いやいやそんなことはない。これに潜在的に反感を持つ国民は大勢いる。何も考えずにレジ袋やスプーンを入手することができたストレスフリーで便利な生活を取り戻すというのは、十分強力なインセンティブになる。実際のところ、少なくとも僕たち国民は、現状維持で何も問題ないのだ。

率直に、この男のせいで世の中は不便になった。この不便さを解消することは政治家の役割だし、それだけで小泉に対して反発する層からの支持を集めることができる。諸君は「環境保護政策に反対する者」と見なされることを恐れているのかもしれないが、国民の要求は環境保護をすすめることではなく、何も考えずにレジ袋を使えた便利な生活を取り戻し、より快適な日常を過ごすことだ

このあたりを見誤って、環境保護政策支持者としての体面を維持するという短絡的な発想しかないから、諸君は支持を集められないのだ。「環境保護政策は必要なので推進するが、その方法を見直す」とか「レジ袋は減らしても廃棄物の全体量に対して大きな影響がないので、有料化を取りやめて、より有効な対策を検討する」とでも言えば、より合理的で考察の深い政策が得られると、国民から期待もされるだろう。

東京オリンピックの開催中止

野党どもは、東京オリンピックの開催に反対し、中止を求めていた。蓋を開けてみれば、入場行進とパントマイム以外に対して見どころのなかった開会式以外、どの競技も熱い試合が行われ、多くの歓喜と感動を国民に与え、そして世界中から「開催してくれてありがとう」と感謝と賛辞を得ることになった。これは素晴らしいことだった。日本国のプレゼンスも大いに称揚したことだろう。

僕は東京オリンピックは本当にやってよかったと思っているし、中止を求めた諸君が、こうした数々の感動の光景を奪い去ろうとしたことに、怒りを覚えることになった。

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確かにオリンピックは中止にするべきという意見が多数派の世論調査もあった。それを根拠に、開催に反対すれば国民から支持を集められると踏んだのだろうが、何だかんだで、国民はオリンピックを楽しみにしていたのだ。このことを見抜けないほど、野党どもの宣伝部門の目は節穴だった。そして野党は、オリンピック賛成派の支持を失った。

実情としては、国民は臆病なので、匿名のアンケートであっても、オリンピックは中止にするべきと考えるのが正しく、社会に対して適応的であると判断した。その結果、アンケート上開催反対という回答をしたに過ぎない。時としてデータは真実を語らないのだ。

「国民の声を聞く」というのはどの政党も取り組んでいることだが、そうしたデータを確証バイアスのもとに根拠としてしまったことで、いみじくも野党が、国民の声が聞けていないということが証明されてしまった。この考察の甘さ、浅さこそ、野党が敗北する要因なのだ。

新型コロナウイルス対策

緊急事態宣言が今も続いている。「これが最後の緊急事態宣言」と菅首相が言ってしまったので、終了させると二度と緊急事態宣言を発報することができなくなるからだ。なので期限が近づくごとに、2週間とか4週間の単位で延長を続けて、今に至っている。

おそらく今の日本政府のコンセンサスは、ゼロコロナ、つまりコロナウイルスを撲滅することを目指している。それはとっくの昔に欧米諸国が、そしてあれだけロックダウンを推進してきたニュージーランドや台湾が最近諦めた方針でもある。

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ゼロコロナという標語は、支持率を獲得するのにとても魅力的であり有効だ。なぜなら大衆どもは、ゼロコロナが努力によって実現できると思い上がっているからだ。けれどもこれだけの人がマスクをし、または飲食店を弾圧しているのにもかかわらず、感染者はそれに関係なく増減を繰り返している。

ここから分かるのは、感染者をゼロにすることはできないということだ。達成できない目標のために協力金支給などで財政支出を増やすことは、明らかに問題の解決にはならない。 

立憲民主党がロックダウンとゼロコロナを提唱した時、本当にこの政党はダメになったなと、僕は心の底から感じたものだ。欧米諸国の動向や時節を見誤っているからだけではない。それらはやはり、国民の声を聞き取れていないものだったからだ。

多くの国民は今、集まり、大声で騒ぎ、その場の歓喜を周囲の人間と共有するという欲求を押さえつけている。フジロックや、先日愛知県で行われてやたらと問題になっている波物語フェスは、その欲求が発露されたに過ぎない。人間というのはいつまでも我慢できるものではない。

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人間というのは功利的な生き物で、どれだけ脅威を説かれようと、それが自分の幸福、すなわち遊んだり食べたり飲んだり会話したりという快楽を年単位で我慢できるものではない。このあたりの人間の機敏を読み誤ったのが、感染症専門家会議しかり、日本政府しかり、あるいは各地の都道府県知事どもである。

だいたい緊急事態宣言だって、もともと8月末までだったのを9月12日までやると言い出してるし、それまでだって期間の終了が近づいたなら、その都度2週間とか4週間とかの単位で延長してきたじゃないか。ラソンで10km走れと言われて、残り3kmくらいになったところであと5kmとか3kmとか毎度追加されてみるがいい。いいかげんにしろと主催者に殴りかかるか、やってられるかと吐き捨ててマラソンをやめてしまうだろう

このあたりの国民心理を読み違えているのが今の立憲民主党だ。国民は新型コロナの影響で自粛を強要されることに強い不満を覚えている。国民の要求は、コロナウイルスを撲滅することではない。行動の自由とその根拠が欲しいのだ。外出や移動の際に後ろめたさを感じたくないのだ。「ワクチンを打ったならコロナは終わり。もとの生活に戻りましょう」と言ってほしいのだ。

そうすれば、社会に何も後ろめたさを感じることなく、満員のスタジアムで熱い声援を送ったり、旅行や会食を楽しんだりすることができる。これこそ、国民が本当に期待していることだ。

そして、それを待ちきれないアグレッシブでバイタリティに溢れる諸君、とくにエネルギーにあふれる若者たちは、フェスやBBQで大騒ぎし、あるいは渋谷あたりに繰り出すことになる。仮にコロナに感染しても、たかだか3日ほど風邪で寝込むくらいなら、大したことのない感染症扱いされても差し支えないだろう。

大学生の学生生活や、中学や高校のスポーツ大会も犠牲になった。大人どもがコロナを怖がっているせいで、彼らはその巻き添えを食らったのだ。彼らがおとなしく行儀よく、はいそうですかと従ったと思ったら大間違いだ。彼らの青春の時間は二度と返ってこない。僕たちはいずれ、彼らから手痛い報復を受けるだろう。

彼らを救済すること、または彼ら以降の世代をこれまで通りに戻して、イベントやスポーツをやらせればいいのだ。若年層の感染など被害はたかが知れているので、リスクの少ない人間の活動に制限を加えるべきではない

あるいは緊急事態宣言下であっても、僕たち国民が夕食難民にならないように、1人席のカウンターのみ営業可能にするとかでもいい。

このような、何かしら僕たち国民の生活が上向くような施策の1つも提示することができず、PCR検査を増やす(増やしたら隔離者が増えるだけ)だの、ロックダウンするだの、なぜ国民生活がより不便になる方向でしか急進的になれないのか。そもそもリベラル左派だった諸君が、国家権力をもって自由権の侵害を推進するとはどういう了見なのか

僕には、何となくだけど、菅政権は緊急事態宣言をやめたいと考えているように思える。しかしこれまで、何となく医師会や世論の声に押されて緊急事態宣言を乱発したせいで、それをやめる理由に窮している。やめる理由がないからやめない、というクソみたいな状況に陥って、八方塞がりである。「どのような状況になったら緊急事態宣言は解除されるのか?」という質問にまともに答えられないのは、「出口戦略」を完全に見失ってしまったからだ。

感染者が10万人に1人以内とか、500人以内とかの感染者数にその根拠を置くのは筋が悪い。その数字を超えたならば、また緊急事態宣言が発報されて、国民が不便に苦しむことになる。

僕の中では、指感染症分類を2類相当から5類へ変更することで、対応できる医療機関の数を増やすと同時に、保健所扱いの感染症としないことで管理業務も改善させること、そしてGoToトラベルなどの財政支出を積極的にすすめて、移動や旅行、飲食などの需要を回復させることだ。このあたりの戦略の合理性が、野党にはおしなべて不足している。

国民は森友・加計問題に怒ってない

これほどまでに自民党が失態を繰り返しながら、野党諸君への支持率が一向に上がらないのには、このように「国民の声が聞けていない」という明確な理由がある。おそらく今回の選挙も、自民党が勝利するだろう。立憲民主党を中心とした野党諸君は、なぜ負け続けるのか?自問したことはないのだろうか?

おそらく野党諸君からしたら、例えば森友・加計のそれぞれの問題は、典型的な汚職事件として国民に訴えたかったところだろう。このような金に汚い政党は、政権を担うにふさわしくないと言うのである。

しかし、金に汚くても、自分自身や地域社会に恩恵をもたらす政治家を、常に国民は支持してきた。愛人を囲おうが、裏金をつまもうが、裏献金を受け取ろうが、国民にとってはそんなことはどうでもいいのだ。国民にとっては日々の生活が大事なので、それ以外のことにかまってやれるほどの暇はない。清廉潔白さは政治家には求められていないのだ。

国民の声を聞く、または国民を理解するとは、そういうことだ。国民が得するようなことを言って、実際に得させれば、政治家は支持される。菅政権はともかく、安倍政権が何だかんだで支持を得続けたのは、緩やかな景気回復が続いて、労働者層の生活が維持~多少マシになったという実感があったからだ。一方で民主党の旧政権は、言うことは美しかったが不景気を招来してしまったので、支持を失っていったのだ。

メディア戦略が稚拙すぎる件

野党諸君は、ドイツの独裁者アドルフ・ヒトラーと宣伝大臣ゲッベルスのメディア戦略を大いに学ぶべきだ。インターネットという新たな媒体が追加されても、政権を掌握するために大衆を誘導煽動することの重要性と、その方法の本質は変わっていない。野党諸君は、メディアを全く味方につけられていない。このことに何の問題も感じないのか?

国民大衆に清廉潔白さや理性、科学的思考を期待するのであれば、野党諸君は国民のことを一切理解していないことになるだろう。大衆どもは臆病で、単純で、怠惰なのだ。メディアが流した情報に唯々諾々と誘導される羊の群れのようなものだ。

2009年の総選挙を忘れてはいないだろう。あのようにメディアを味方につけなければ勝利することはないし、今諸君が勝利できないのは、メディアにとって美味しくないからだ。なぜ美味しくないのか。諸君が訴えていることが目新しくもなければ、現実的でもなければ、国民が願っていることでもないからだ。

2009年当時は、氷河期から続く閉塞感があり、何かを変えなければいけないという機運が国民の中でも高まっていた。政権交代というメッセージは、その変革欲求に合致するものだった。メディアはそれに食いついた。視聴率が取れるからだ。メディアは(視聴率欲しさに)それを大々的に宣伝し、それに煽動された国民は、民主党に投票したというわけである。

このように、メディア戦略で重要なのは、国民の機運である。国民は今「何を言ってほしいのか」。真剣に考えるがいい。国民は自らの口で自分の欲求を語れるほど分別がついていない。だから権力者に、それを代弁してくれることを求める。

メディア戦略は、「何を言うか」と「誰が言うか」を正しく組み合わせないと機能しない。野党諸君は、「誰が言うか」ばかりに腐心していて、何を言うかを全く考察していない。国民は何を言ってほしいのか?それに対しての回答が誤っているから、諸君は支持を集められないのだ。

そしてもう1つ。諸君は2009年の政権交代といいう過去の栄光にとらわれて、政権交代しかないと言い続けているだけだからダメなのだ

ここでは、手段と目的の混同が起こっている。いいか、政権交代というのは、現状を改善するための手段であって、目的ではない。かつて野党どもが失敗したのは、政権交代することを目的にしてしまい、その後の政権運営ビジョンがなかったからだ。

当時の円高に対して中止することしかせずに多くの金融機関を滅亡に追いやったり、社民党共産党の左翼政党とのしがらみで中国や韓国に強硬的な態度を取れなかったりした。中道左派たる民主党と、相当に左翼・親中・親韓である社民党共産党との歪な連立政権の構成というのも、このような機能不全の原因だった。この一貫性のなさが、国民を野党諸君への支持から離れさせる要因になった。

ちょうど選挙があるという。野党諸君、今こそ国民の声を聞け。諸君は政権交代して、何をするのか?それは僕たちに何を与えるのか?僕は、それがwithコロナの施策であり、緊急事態宣言やロックダウンなどの私権制限を伴わず、景気の回復と経済の再建を目指した合理的かつ実際的な政策であることを願っている。

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