非モテ恋愛弱者のブログ

旧「非モテ系のままで生きていくブログ」から、恋愛弱者男性ブログに進化しました。レベル36の限界中年/異常独身/非モテのブログ。もう人生折り返しました。残りの人生を頑張らないで生きていこうと思います。なおこのブログには、モテる方法は1つも書いていません。

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恋愛してみたかったし、結婚してみたかったよな

非モテは、自分はもう恋愛も結婚も諦めたからもういいのだ、自分には関係ないことだと語る。はたしてそうだろうか?僕も生涯を通じて非モテなのでよく分かるのだが、そこには嘘と欺瞞とごかましが見え隠れしている。

自分の誠実さを証明したいなら、僕たちは言葉に気をつけなければいけない。「結婚しない」、「恋愛も興味ない」ではなく、「結婚したかった」、「恋愛したかった」と堂々と言おう。きっとそれを笑う者はないだろうから。

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僕たちは1つの生物として、遺伝子の継承と改良の要求に従って行動している。恋愛は、その目的においてホルモンが分泌されることによる心理作用だ。そして結婚は、戸籍という、社会制度の構成要素の1つに過ぎない。

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そうやって対象を矮小化してみても、繁殖という生物としての要求を満たせていない以上、本能的に繁殖することを求めてしまう。恋愛も結婚も、本能的な要求だ。それが今の文化あるいは社会制度上、恋愛とか結婚という形式でアウトプットされる。僕たちはそれができないから、今こうして苦しんでいる。

恋愛や結婚を否定しにかかることは、生物としての自己存在の否定につながるから苦しむのだ。だから、「恋愛や結婚など興味ない」と、遺伝子の欲求を否定し、興味ないことにしてしまうという心理適応をはかることになる。

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ならば今からでも、僕は結婚や恋愛ができるだろうか?答えは否だ。僕は、結婚どころか恋愛もできないのだろう。

人を好きになることは、当たり前のことだと頭では理解していた。好きな人に好きって伝えるのは、世界で一番素敵なことだとも聞いたことがある。

そうかもしれないけれど僕は、背も低ければ顔も悪かったので、僕が誰かを好きになっても、僕を好きになってくれることはないと理解していた。そして、拒絶されることにも恐怖があったから、仲良くしようとすることすら躊躇われた。

僕は他人がうっすら怖かった。僕は他人という、僕にとって恐怖や不快を与えてくる存在を好きになれなかった。人を好きにならないのに、なぜ恋愛や結婚をしたいと思ったのか。

今なら分かるが、僕は遺伝子の操り人形だったし、恋愛至上主義社会の要求に何も考えずに応えようとしていたのだ。僕がそんな自分の姿を認識し、そうすることをもう辞めようと決意したのは、30を超えた頃だと思う。

今更積極的に恋人を見つけようとは思ってないが、まぁいないよりはいた方がいい。

今僕は、恋人とはセックスしなくてもいい。僕は恋愛のプロセスをすっ飛ばし、金を払ってセックスすることも覚えてしまったからだ。セックスは風俗店で代替することができる。何も背負わず、何も背負わせない風俗店は、とても気楽だった。誤って子供ができてしまうこともない。僕が快楽を与えようと頑張る必要もない。僕にとって風俗はメリットしかないのだ。

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僕は恋人を消極的に募集している。メリットは、僕とセックスをしなくて済むこと、子供を作らないので生活に余裕があること、そして僕は基本的に1人行動なので、僕とのデートをしなくてもいいことだ。

けれどそれって、女の側にメリットは何もないじゃないか?そして僕の条件は、恋愛したり結婚したりしなくても達成できるじゃないか?

だとしたら他の価値はどこにある?そもそも女どもは、僕が恋人が本当に欲しかった学生時代には、僕に大変厳しかった。せっかくメールアドレスを教えてもらってメールしても、メールの返信が返ってくることもなかった。

僕だって制服デートとか、浴衣の彼女と夏祭りとか、放課後誰もいない教室で2人きりで話したりとか、どちらからともなく手を繋いで一緒に下校したかったんだよクソが。

今僕に優しくしてくれる女は、金を払った後の風俗嬢だけだ。優しさは金で買うことができる。制服コスプレさせた風俗嬢にそれを代替させても虚しさは残るが、それでもそれはないよりもマシだった。

僕は女性に期待しなくなった。もう何年も前だけど、何かの拍子に合コンに参加して、LINEを送ったら返信が返ってきたのは、感動的だった。返信など来ないと思っていたからだ。その後僕は、僕のような非モテ男に彼女の時間を使わせるのも申し訳なく思えたので、2回目の連絡をすることはなかった。

例えば、今何かの間違いで、かつて好きだった人が僕に交際を申し込んできたとしたら、僕はその申し出を心から受諾できるだろうか?僕は昔、確かに彼女のことが好きだった。しかし当時彼女は別の誰かを愛しており、僕も好意を露わにしてはならぬと行動していたので当たり前だが、彼女は僕のことは一切顧みなかった。

僕はその時、背も低ければ話も面白くなく、金すらもっていない、彼女にとってまったく価値のない男でしかなかった。

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しかし今、僕は人並みの給料を何とかもらえる立場にある。僕が今の仕事を続けられるかどうかは別にして、仕事面は幸いなことに安定している。背も低ければ話も面白くないことは今でも変わらないが、僕には金がある。僕が変わったのはそこだけだ。中身は当時と対して変わっちゃいない。そんな時に僕に言い寄ってきた彼女の目的は?

僕には問いたいことがある。なぜ彼女は、10年前の若々しく魅力的な時期に、僕のものにならなかったのか?なぜそれから10年も経った今になって、魅力に欠けた容貌に成り下がってから、僕のもとに現れたのか

分かりきっている。彼女の目的は僕の金だ。僕の稼ぎにぶら下がることによって、生ぬるい残りの人生をやり過ごそうというのだ。僕はナメられている。僕のような男なら、自分の色あせた性的魅力をもってなびかせることができると思われているのだ。

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僕が欲しかったのは、10年前の、若々しく魅力的な時期の彼女だ。ひなびて萎れてシワの刻まれた今の彼女ではない

いや、その彼女でなくとも、僕は僕のことを心配してくれる誰かを欲していたのだ。何者でも無かった頃から一緒にいてほしかったのだ。けれども誰とも縁がなかった。僕から縁を作りにいったらキモいと思われるだけなのは分かっていたから身動きは取れなかったし、行動しないのに縁ができるわけもなかったのだ。

僕は今でも、たまに好きだった人を夢に見る。夢で逢えたらそれでよかった。やはりまだ未練なのだ。

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僕には結婚ビジョンがない。僕は最近、うっすら結婚願望がまだ残っていることを理解した。けれど、どんな家庭を築き、子供は何人いて…みたいな絵が想像できない。

確かに自分の遺伝子の継承という本能的な意味と、社会的体裁を整える目的であれば、子供をもつのは望ましいのかもしれない。しかし僕は、僕の非モテ要素を含む遺伝子を受け継いだ愛すべき我が子が、僕と同じように非モテに苦しんで一生を終えてほしくない。

そして何より、金がかかる。にも関わらず、僕たちの未来は暗黒だ。長引く不況と少子高齢化で、子供たちの時代の賃金はより安く、そして労働は厳しくなるだろう。そうならないためには、学歴ドーピングをかましてでも高偏差値の大学か海外の大学に進学させなければいけない。しかし一般国民階級の僕に、そんな金はない。

人間としての喜びよりも、金勘定を先に考えるとは、僕もなかなか心の汚い大人になったものだ。

若いときに恋愛できなかった僕は、非モテをこじらせすぎて、自分が誰かに好かれる絵が想像できない。恋愛したかったのに、もう恋愛できない。あぁ、もう取り返しがつかないのだ。40歳や50歳を超えたら、この遣る瀬なさは解消されるのだろうか?この苦しみを一生抱えて生きていくしかないのだろうか?

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