非モテ系のままで生きていくブログ

管理人は、寺社仏閣と鉄道と飛行機と猫を愛する非モテ系。モテないままで、流されることなく、流れるように、頑張らないで生きていく。旅行したり仕事とか人生とか考察したり。

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非モテは一生幸せになることができない件

僕はモテないままで幸せな人生を歩んでいこうと、このブログを運営してきた。生き方や考え方を変えることで、モテないままに、モテないなりに、幸せになろうと考えてきた。しかしここ最近、それは本質的に無理ではないかと思い始めている。今回はこの辺りのことについて語ってみよう。

まず、僕の考える幸福とは何であるか?その本質的なところはつまり、遺伝子を改良し継承することである。より高次な脳機能をもつ人間だろうと、その辺の犬猫だろうと、それは変わらない。全ての動物存在の究極目的は遺伝子の改良と継承であり、その行動はその究極目的に基づく。

junny-policies.hatenablog.com

僕の基本的な考えは、進化心理学を用いて、これまで本能的行動と理性的行動として区別されてきたあらゆる人間行動を、遺伝子の改良と継承という目的を参照した上で説明するものである。

例えば顔面パーツの配置や体型でモテるモテないが決まるのは、遺伝子の改良欲求に基づくものだし、生殖行動は遺伝子の改良と継承の具体的な行動であり、恋愛感情はその欲求が脳内に発生させたホルモンの分泌によるものである。

もちろん生存も遺伝子の継承の器たる人間個体を維持するためには必要なので、そのために食事や睡眠や排泄がある。青色の食べ物に食欲が沸いてこないのは、それらが毒を含んでいることが多かった(=青色を忌避しない人間は毒によって淘汰された)からだし、排泄物を悪臭だと感じるのは、それらを忌避しない人間が排泄物由来の病原体によって淘汰されたからである。

僕が考えているのは、幸福すらも、いや、人間が幸福を感じる思考回路自体も、遺伝子によって定義されているのではないかということである。遺伝子の要求は改良と継承であり、人間の究極目的は生殖を通じた遺伝子の改良と継承を達成することにあり、その目的に合致する行動全てに快楽が伴うのだ。生殖も食事も排泄も睡眠も、全ては快楽を伴うが、生殖が究極目的であるなら、その快楽は最高レベルのものであり、それが達成できた者こそ、究極的に幸せになれるというわけだ。

junny-policies.hatenablog.com

生殖の快楽は、射精やオーガズムだけではない。心理的な安心感や受容感、あるいは愛情と説明される快適な感情全てを体感することも含まれる。

だから人間は、あらゆる方法において生殖行動の欲求をもつ。それはモテる者、モテない者で差があるわけではないが、それが異性に受け入れられるかどうか、つまりその取り込もうとする遺伝子が自分の遺伝子を改良するに値する遺伝子であるかは、常に遺伝子を交配する候補となる相手に検証される。

そのプロセスの中で、遺伝子を改良する要素として不適切、または低品質だと判定された者が非モテ予備軍・・・である。なぜ予備軍か?割れ鍋に綴じ蓋などというと少々言葉が過ぎるが、そういうお似合いのつがいが誕生することがあり、その者たちは遺伝子の改良と継承を達成するために努力できる者たちなのだ。

非モテとは、遺伝子に価値がないと判断された者のことではない。自分の遺伝子に価値がないと諦めて、遺伝子の継承の要求を拒絶し、生殖を目的とした全ての行動を止めてしまった者たちのことだ。そもそも生存すら、遺伝子の継承の手段に過ぎないのに、生きているのに遺伝子の目的のために行動できない。そんな異端な存在が、非モテと呼ばれるのである。

異端者は共同体から排斥される。だから僕たち非モテには、社会のどこに行っても居場所がない。独身貴族だの一匹狼だのと誤魔化してみても、生物としてのたった1つの行動:生殖を達成しようとしない・・・・・・・時点で異端であり、生殖が達成できないからこそ、究極の幸福を体験することはできない。だから本質的に不幸なのだ。

遺伝子は、継承の意志を失った肉体を再び生殖行動へ促そうと、努力する。それが独りになることの不幸感であり、あるいは寂しさと呼ばれる感情である。この感情は、生殖が可能になる思春期と、肉体が成熟する20代中盤までとと、遺伝子の老化が始まる直前の30代中盤ごろにもっとも強く感じられるようになる。

要求に応えない肉体と脳に対して、遺伝子は復讐する。それは思考や感覚そのものを支配する。僕たち非モテの頭の片隅には、どれだけ仕事や趣味に打ち込んだとて、「寂しい」、「空虚である」、「意味がない」と思い込ませるという、遺伝子の復讐の傷跡が刻まれ続けている。この傷跡は、誰かとつがわない限り癒やされることはない。

あぁ、僕は、結婚してみたかった。恋愛してみたかった。誰かに特別な人として認めてもらい、誰かに愛を注ぎたかった。大切にし、大切にされたかった。
僕は今でもそう思っている。けれど僕にはあまりにも難しかった。厳しかった。

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このように、遺伝子を継承するという大目的を達成できなかった僕たち非モテは、どうしても幸せになることはできないのだ。だから、僕たち非モテが幸せだと認知しているもの全ては、そういう本質的な不幸を欺瞞で塗り固めた上に成立しているものだと捉える必要がある。

そうだな。けれど、それでいいのかもしれない。どうせ僕たちの残りの寿命はあと30年か40年ほどだ。人生の消化試合にしては長いが、今から生殖の努力をしても意味がないものは意味がないし、遺伝子の欲求も寂しさも、それはそれとして抱えながら、淡々と生き続けるしかないのだろう。

あぁ、人生は不幸だ。

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