~懲役40年の労働刑~「働きたくない」を大事にしよう
労働の苦しみは、程度の差はあれど、会社員という身分を続ける限り一生続くものである。僕はどうにかしてこの苦しみから脱却したいと思っていて、すでにいくつかの会社を転々としている有様である。
懲役40年の労働刑に処される
明日は4月1日だ。このコロナ禍の時代、入社式というのはあまりやっていないらしいが、だいたい社長とか役員の言うことは決まっている。仕事を楽しむだの、企業の社会的責任だの、ワークライフバランスだの、成長だの、グローバルだの、とにかくそういうものを目指してほしいというものである。
何を目指したらいいのかわからなくなるので話半分に聴いておけばいいのだが、このご高説に耳を傾ける新入社員諸君へのメッセージはただ1つ、会社のルールを守って、会社の利益や売上に貢献しろ、ということである。
実際僕たちは、自前で食べ物を生産・調達したり、あるいはプロスポーツ選手とかタレントとかでその身1つで稼げるなら、こうして会社員になる必要はなかった。それなのに今ここに会社員になるということは、自分にそういった能力がなかったことの証明であり、だからこそ経営者に労働力を提供して賃金を得る枠組みに組み入れられる必要があり、また社会人というのはそういう人間の集まりである。まずはそのような身の程を知る必要がある。
それにしても、高校や大学を卒業してから40年も働くというのか。まったく絶望的である。仕事を楽しむ?そんなことはありえない。仕事は仕事だ。僕は社会人になってもう13年ほどになるが、未だにこの労働というものが楽しいと思ったことがない。何しろそれは自ら選んだ選択でなく、働きたくないのに働かざるを得ないという極めてネガティブな動機から行動しているので、何ともストレスフルである。
そしてそれはあと27年も続くというのか。僕は社会人生活が始まったときからこの事実に絶望していたが、この絶望は今になっても変わることがない。
僕が考えているのは、働きたくないという希望や意思を大事にしつつ、どうすればこの40年間の労働人生をうまくやり過ごせるかということである。やりたくもない労働ならば、せめてそのストレスが軽減できるように立ち振る舞う必要がある。その手段が、入社した会社に適応することと、転職の2つである。
苦しいと思ったら辞めよう
入社はしてみたものの、どうしても自分の性向とあわない仕事というのはあるものだ。そしてそれを続けることはとても苦しいことだ。苦しいことが続くと、人間というのは心が壊れてしまう。心を壊さないためには、その苦しみを苦しみと感じなくなるか、そうでなければ苦しさの根源と自分との関係を断つ必要がある。
つまり、辞める、ということである。いやむしろ、どうしようもなかったら辞めなければならない。
僕たちの存在というのは、別に会社のために在るわけではない。会社からすれば、僕たちなど替えのきく一部品であるに過ぎない。会社に対して責任など感じる必要はない。心配いらない。僕たちがいなくなっても、きっと誰かがその穴を埋めてくれる。
その人にとっての適性というものがある。実際、初めての事柄というのは何でもハードルが高く感じられて、それに取り掛かることがストレスになることがある。最初なのでそれは仕方ないことだ。要は慣れの問題でもある。その仕事をやってみて、それがだんだんこなせるようになって楽しくなってきたならば、それはそれでいいことであるし、それならばそのまま仕事を続ければいい。
いつでも転職できる自分を作る
終身雇用が終わったなどと鼻息荒く語る人もいるが、実際どの会社でも新卒~第二新卒の年代は重宝される。自分を見極めるのは大変難しいことだが、それでも自分の仕事に対しての適性を判断しにかかる必要がある。まずはこの最初の数年が勝負だ。実際僕は、35歳頃になって自分がようやくどういう仕事に向いているのか理解しつつあるが、それに至るまでに僕は時間をかけすぎた。今僕がその道に進むには大幅な収入減を覚悟する必要がある。
適性がないと判断した以上、遅かれ早かれその仕事は辞めざるを得ないので、その場合は、もっと自分に適していると思われる仕事をやらなければいけない。このエントリを読むであろう読者諸君は年齢的にはいい大人であるので、その部分の判断くらいは自分でするべきだし、またそれによって自分に起こることというのは、全て自分で責任を取らなければならない。
適性があるかどうかの判断は、やってみないとわからないということもある。よって、もし諸君がまだ第二新卒くらい若いなら、何か新しいことに挑戦して、自分がどれだけそのことに適性があるのか、はかってみるということもできる。
僕が考える「適正がある」とは、自分にはそんなに苦ではないけれど、他人にとっては頑張らないと達成できない仕事のことである。僕は営業職だが、コミュ障気質なので天性の営業には実績とスキルで優ることはない。その営業は僕が努力した以上に、努力しないで結果を出すだろう。
けれど契約書の細かな誤字脱字チェックやビジネスの法的責任を考察する企業法務だったり、または顧客の要件に対して商材を組み合わせて提案を構築するプリセールスなら、僕のほうがおそらく人並み以上にできるはずだ。
何が言いたいかというと、同じ営業系であっても、直接的な交渉を行う営業と提案構築と支援を担うプリセールスは役割が違う。このように同職種の中にも業務の違いがあるので、そのあたりを解像度を上げて考える必要がある。
ちなみに、コミュ障たるこの僕が営業職をやっている理由は別のエントリで書こうと思うが、これはコミュ障だけど営業をやる方法という文脈できっと需要があるはずだ。コミュ障のことはコミュ障しか理解できない。
話を戻すと、平成から令和へというこの時代、転職というのはそんなに難しいことではない。だから自分の人生の棚卸しをしなければならない。自分が何に興味を持ってきたのか、自分に得意なのは何か、徹底的に洗いなおすのだ。自分と徹底的に向き合わなければいけないのだ。自分と徹底的に会話をしなければいけないのだ。
それが自己分析であり、それができる人は転職できる。一社に定年までとどまって仕事をする時代ではないことは諸君も周知のとおりだろうが、もしそのことを身にしみて理解するなら、当面辞めるつもりがなくとも、いつでも転職する準備を進めておくことだ。
僕がおすすめしたいのは、会社を休んで、一人で海を眺めに行くことだ。この、一人で、というのがポイントだ。何しろ自分の人生の中で重大な決断をしようとしているのだ。自分の人生を決定づける何かをしようとしているのだ。家族や恋人ならばともかく、友人とは一緒に行くべきではない。友人というのは他人であるからである。そんなことすら一人で決められないなら、好きにしたまえ。