非モテ恋愛弱者のブログ

旧「非モテ系のままで生きていくブログ」から、恋愛弱者男性ブログに進化しました。レベル36の限界中年/異常独身/非モテのブログ。もう人生折り返しました。残りの人生を頑張らないで生きていこうと思います。なおこのブログには、モテる方法は1つも書いていません。

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【理想の家庭が怖い】母子家庭育ちの僕は結婚願望を持たない

僕は母子家庭育ちである。僕と同じように母子家庭に育った人の中で、やはり僕と同じように結婚願望がない人はあるだろうか。

結婚願望はどのように発現するのであるか。僕が思うに、結婚それ自体や結婚生活そのものが、疑念なく内面化されていることが必要になってくる。それはつまり、結婚生活の具体的な有り様が、程度はともかくイメージできていることである。

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金をくれと要求させられる子供

僕の話を少しすると、僕は父親というものがよくわからない。僕は小学校の頃の父親との思い出があまりない。河川敷でキャッチボールをしたり、魚釣りには連れて行ってもらった覚えがあるが、それ以外の父親は、基本的にプロ野球を見ては巨人の勝ち負けで機嫌が良くも悪くもなった。両親は僕が小学校の頃に離婚し、僕はそれ以降母親のもとで育てられてきた。

理由はわからんが両親はケンカばかりしていて、僕とまだ幼少の弟はそのたびに間に止めに入ったことを覚えている。離婚後、僕が父親と接することができるのは、母親に言いつけられて「金をくれ」と要求する電話越しに限られていた。この接し方も今から振り返れば最悪で、生活には確かに困窮していたが、結局母親は僕たち兄弟を、父親に金を要求する役割しか与えていなかった。母親は僕たち兄弟の無垢性を利用していたに過ぎなかった。実際に金が払われたのかどうかは知らないが、僕は子供ながらに、この関係性は、親子という関係の本来の理想形とはかけ離れていることを理解していた。

聞き分けよく反抗期のなかった子供

僕は子供ながらに、甘えが許されないことを知っていた。片親で働きに出ている母親の手を煩わせないためには、僕自身が精神的に成熟する必要があった。それは聞き分けをよくすることであり、親に服従することであり、自らの家庭の内情を他者に開示せず、母親を傷つけないことであった。

だから自分の家に友達を招くということは許容されなかった。振り返ると、友達の家に遊びに行ったり、あるいは招いたりという行動は、他社の領域に入る場合にどう振る舞うかという社会的ルールを学ぶ上で極めて重要だったと思われる。また友達を招かないことは友達に対しての拒絶を意味することも分かっていたし、それが友人関係に少なからず影響を与えることも理解していたが、僕は上述の、家庭の内情を他者に開示することで母親(のプライドというか体面というか外面)を傷つけることができなかった。

僕はこの期待に可能な限り応えようとし、それが母親の期待にそぐわないのであれば容赦なく暴力を受けた。刃物で殴られて頭から出血したこともあった。それでも僕の認知は、期待に応えられなかった僕が悪いというものだった。ちなみに弟はやはりいい子であり続けようとしたが、いい子を対外的に演じきれなかった小学校低学年の頃から不登校となり、今でも彼は社会的生活に馴染めず、それは尾を引いている。

コミュ障すぎて他者や家庭に期待できない

僕には反抗期がなかった。後から理解したことだが、反抗期というのは健全な発達のために極めて重要だった。どのようなホルモンの作用なのかはよく知らないが、反抗するというのは、たとえ自分が親を傷つけても、親は自分の味方であり続けてくれることを再確認するために必要なプロセスであった。反抗してもその親には受け止めてもらえるという、その安心感をもって、人は人を傷つけることを学び、そして他人に心を許すこと、他人に対して安心することを身につけるのだ。

しかし僕は、母親を困らせないため、傷つけないために反抗することをしなかった。僕は当時、自分をいい子であり優秀な人間だと思っていたが、僕のように反抗期を経なかった人間は、他人に心を許すこともできず、そして人を傷つけることもできないただのコミュ障に成り下がるのだ。

こうしてみると、僕というコミュ障人間がどのように生育したかを説明するには十分すぎるような気もする。そしてこのような家庭に育つと、どこまで片親育ちに一般化できるのかは不明であるが、少なくとも家庭という概念的存在そのものに何ら期待をしなくなる。

父親としてのあるべき姿がわからない

翻ってもし僕が家庭を持つのであれば、僕は性別的に父親としての役割を担当する必要がある。僕は、多少は妻の収入もアテにする必要があるだろうが、家族が暮らしていける分の生活費を稼ぐことはできるだろう。しかしそれ以外は?僕は妻と、そして子供とどのように接することが要求され、あるいはどのように接してはいけないのだ?

一般的には、そういう機敏のようなものは親にならないとわからないのかもしれないが、しかし彼らには多くの場合健全な父親がいたはずだ。存命ならその父親に相談することもできる。何かわからなければ、自分の父親が規範となり、ロールモデルとなり、場合によっては反面教師になる。

しかしこの僕ときたら、規範やロールモデルどころか、小学校高学年以降からは父親との正当なコミュニケーションは断絶していたので、反面教師としての父親像すら内面化されていない。そんな僕はまず、父親としてどのように振る舞わなければならないのか、その拠り所すら存在していない有様だった。こんな僕が家庭をもって、一体何になるのだろう。僕は何も与えることができない。子供にも、そして家庭にも。

理想の家庭像がイメージできない

そしてもう1つ説明が必要なのは、家庭そのものに対しての期待感だろう。僕にとって家庭とは、一体何なのか。理想的な家庭生活とは?広くもなければ狭くもない家を調達し、良妻賢母たる妻と、子供1人か2人をそこで育て、いつ子供の友達が遊びに来てもいいようにしたり、あるいはスポーツや習い事などについていったり、一方でその家庭を守るために必死で仕事をする。仕事に疲れても、自分が立ち返る場所として、心から安らぎを得られる家庭という場所がある。そんな家庭というのは理想的だろうか。

しかし僕にとって家庭とは、母親の恐怖に支配された空間だった。安心できることは何1つなかった。僕はそんなものを作りたくはない。母親も父親もとっくの昔にこの世を去った。僕は今ようやく、母親も父親もいない、穏やかな世界を生きているのだ。ここに心を許すことできる人は存在しないが、僕を傷つける人も存在しないし、または僕が気を使わなければいけない人も存在しない。この世界を手放して、今度は旦那や父親の立場として再び家庭の世界を構築することで、僕はどれだけ心を許し、どれだけ人を傷つけ、そして気を使わなければならないのだろう。そう考えると、家庭そのものに対しての恐怖がつのるばかりだ。

そうだ、僕は家庭そのものが恐ろしくて仕方ない。仮に理想の家庭を築けたとして、それは何かの拍子で崩れてしまうかも知れない。そうしたら再び家庭は僕の人生において苦痛の発生源となり、また妻や子供に対しての責任も発生する。そういう責任を負いたくないのだ。僕の肩は、家庭における様々な責任を負えるほど広くはない。

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