非モテ弱者男性のブログ

旧「非モテ系のままで生きていくブログ」から、弱者男性ブログに進化しました。レベル36の限界中年/異常独身/非モテのブログ。もう人生折り返しました。残りの人生を頑張らないで生きていこうと思います。なおこのブログには、モテる方法は1つも書いていません。

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非モテと「かわいそうランキング」~若い女が死ぬと社会変革が起こる件~

若い女性が自殺した2つの事件

あるリアリティ番組で、美人プロレスラー木村花さんが自殺したことを覚えているだろうか。

僕はテレビを見ないのでわからないのだけど、写真で見る限り木村さんは大変可愛らしい女性だという印象を受けた。そんな彼女は、リアリティ番組上での振る舞いを原因として誹謗中傷を受け、心身を病んで自殺してしまった。累が及ぶと考えたのか、誹謗中傷コメントをSNSに書き込んでいた有象無象どもがそのコメントやアカウント自体を消し去って知らぬふりをしている様に、ひどく不快な気分になったことを覚えている。

この卑怯な連中は、自分の発した言葉が1人の人間を死に至らしめたことの責任を、受け止めることすらしなかった。その不誠実な態度に僕は怒りを覚えた。木村さんの遺族側は法的措置もすすめているらしいので、ぜひともこの卑怯な連中が相応の報いを受けることを願ってやまない。

そしてもう1つ、僕が覚えているのは、電通の新入社員高橋まつりさんが過労自殺したことである。彼女は、ネット上の情報を調べる限りいわゆるキラキラ系女子で、慶應義塾大学から電通に新卒入社するという、エリート上級国民の典型的な人生ルートを歩んでいた。その意味でまったく彼女に思い入れはないのであるが、パワーハラスメント長時間労働によって心身を病み、自殺してしまった。

この2件で共通しているのは、その後社会整備が進んだ点だ。前者のリアリティ番組については、誹謗中傷者の情報開示請求などのルールが整備されたし、後者の電通の案件については、長時間労働を規制する動きが一気に広まった。そして後者については、僕のような労働者側は、長時間労働が抑制されるという思わぬ恩恵を受けることになった。

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若い女性が自殺すると社会変革が起こる

こうした2つの事件を考察して、僕は大変困惑する。

実際のところ、誹謗中傷やパワーハラスメント、あるいは長時間労働に悩まされて自殺した人は、これまでにも相当数あったはずだ。その中において、男がどれだけ自殺したのだろう。年間2万人の自殺者の中で、それは確かにあったはずだ。あるいはパワハラ過労自殺の認定が降りたという段階に至った案件も、いくつもあったはずだ。

僕が言いたいのは、つまりこういうことだ。これまでたくさんの人々が自殺してきた。それでも社会は変わらなかった。しかし木村さんと高橋さんの自殺は社会を変えた。おそらくこれまでの有象無象の自殺と、木村さんと高橋さんの自殺には、何らかの大きな違いがある。一体何が違うというのだろう。若い女には、社会を変えさせるだけの何かしらの力があるのだろうか。

いやむしろ、何らかの社会問題を変革するには、若く麗らかな女がその問題を起因として自殺することが最も近道なのではないかとすら思う。そしてそう発想する僕自身に少々戦慄したりもする。

「かわいそうランキング」でこの格差を説明する

かわいそうランキングというものがある。これは光属性系白饅頭こと文筆家の御田寺圭氏が著書「矛盾社会序説」で提唱した概念で、本当はかわいそうなのだけれど、そう思われていない人々が存在することに着目し、彼らを「かわいそうランキングが下の人々」と表現したものである。

かわいそうランキングが高い人が不幸な目に遭うと、世間に注目され、あるいは二度とそのようなことが怒らないように社会のルールすら変えられてしまうこともあるが、そうではない人々が不幸な目に遭っても、(不可視化されているため)関心が払われないということである。

かわいそうランキングの上位者は若い女や子供、あるいは動物でいえば犬猫であり、下位者は概ね中年以降の独身男性である。社会属性上のヒエラルキーであり、関心が払われるだけの価値の有無を指標化したものと言ってもいいだろう。

アフリカで飢饉に苦しんだり、西アジアの戦乱で家を失ったりして支援を求める広告に子供の写真が使われるのは、かわいそうランキングが考慮されているからだ。子供はかわいそうランキング上位だから、関心を払ってもらえる。しかし裏側には、同じように飢饉で苦しんだり、家を失ったりした中年男性もいるはずだ。しかし彼らは写真には写っていない。このように不可視化されているので、彼らの存在は少々考察しないと浮かび上がってこないものなのだ。

子供が困っていたら助けたくなるかもしれないが、中年男性が困っていたところで助けになど関わりたくないということだ。こうした差別感情を、すべての人が無意識に内包している。

エリートの没落ストーリーが大好きな人々

ところで、僕たちは若い女や美人、そしてエリートが不幸な目に遭うのが潜在的に好きなのかもしれない。週刊誌の「美人OL殺人事件」とか、たまにYahoo!ニュースで配信される「エリート弁護士の妻の没落」とか、そういうコンテンツを読みたくなることはないだろうか。僕の場合は、そもそも週刊誌を読む習慣がないので前者はあまり手を出さないけど、後者についてはふとクリックしそうになることがある。

他人の不幸話などインプットしても自分の人生が良くなることはないことを知っているので、そういう抑制がはたらくのであるが、「ふと」というのが重要で、こうした意識や理性を働かさなければ、僕はその不幸話にアクセスすることになってしまう。

僕が思うに、ルサンチマンという側面もあるのだろう。美人OLやエリート弁護士の妻のようなかわいそうランキング上位層の人間に対し、僕たち下位層はその存在すら不可視化されているのだ。そんな上位層が破滅を迎えるとは、少々溜飲が下がるというものである。あぁ、他人の不幸は消費されるべきコンテンツなのだ。その消費を楽しむのが人間だ。人間とはなんと残酷な存在なのだろう。

男の自殺に価値はない

おそらく僕たち中年以上の男どもは、かわいそうランキング最底辺の存在だ。だから自殺しても社会は何も変わらず、その没落や死がコンテンツとして消費されることすらない。この事実に気づいた時、僕は一層社会から僕たちは分離されるべき存在であることを自覚した。

僕たちは一切顧みられないのかもしれない。そんな社会と繋がり続けて、何かメリットがあるのだろうか。かわいそうランキング最底辺の僕たちは、おそらく最も社会から救済されることはないだろう。けれど文字通り社会から関係性を断絶させることは不可能であるから、僕たちは可能な限り、必要最低限までに社会との関わりを抑制するしかない。

こうして社会から不可視化された存在、それが僕たち非モテであり、中年男性なのだ。この2件の若い女性の自殺は、そんなことを僕に思い起こさせてしまった。

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