非モテ恋愛弱者のブログ

旧「非モテ系のままで生きていくブログ」から、恋愛弱者男性ブログに進化しました。レベル36の限界中年/異常独身/非モテのブログ。もう人生折り返しました。残りの人生を頑張らないで生きていこうと思います。なおこのブログには、モテる方法は1つも書いていません。

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【進化心理学】僕たちは遺伝子を未来へ運ぶための乗り物に過ぎなかった

僕たちの行動が全て遺伝子によって定義されているとしたら、どうだろうか。

僕たちが合理的だと認知・判断したつもりでも、その根本は遺伝子が参照されているのではないか。僕の意思すら、遺伝子に操られているというのか。この僕の探求に、進化心理学というアプローチが役に立ってくれるだろう。

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進化心理学は、人の心理メカニズムの多くは、生物学的適応の結果であると仮定することで何らかの結論を与えることで、適応主義心理学と呼ばれることもある。その観察対象には感情や認知、宗教、道徳、芸術などが含まれる。

赤ん坊の鳴き声がやたら耳障りなのは、その声の周波数が耳に届きやすいからだが、それに対して何らかの行動をとろうと思わない個体の遺伝子が残らず淘汰されたからでもある。おそらくその赤ん坊は栄養失調とか寒さで死んでしまったし、その親はその結果、赤ん坊の鳴き声が何らかの行動契機とならないという形質をもった自らの遺伝子を、後世に継承することができなかった。

今この世に存在しているほぼすべての人はそのような進化的適応を経た存在であり、赤ん坊の鳴き声に何らかの警戒や心配という何らかの関心を払うことを、遺伝子レベルでプログラムされている。その中において時たま僕のように、赤ん坊の鳴き声に純粋にいらだちを覚える形質をもったエラー個体が生産される。

あるいは僕たちの手が他の霊長類と比べてやたらと器用なのは、そのほうが獲得できる獲物が多く、生存に貢献したからだ。その獲得能力をもって人類は生存し繁殖してきた。そしてそれができなかった他の種や個体は繁殖できず、手を器用に使える個体だけが遺伝子を次世代へ継承していった結果、今このように手を器用に使える個体が残っているに過ぎない。

まぁ進化心理学はまだ穴も多くて、例えば女性の胸の大きさが性欲を催し繁殖に有利になるのなら、この世は胸が豊かな女性で溢れているはずである。実際そうはなっていないのは、胸が慎ましい女性を好む形質をもつ男性が一定数いることで、多様な形質を維持しようとしているからだろう。あくまで遺伝子の目的は次世代への継承であり、その属性が多様であればあるほど、それと交配したいと思う別の遺伝子が見つかりやすくなり、結果としてその情報を次世代に継承できる、というわけだ。

進化心理学もそれはそれで重要なテーマなのだが、それ以上に重要なのは、僕たちの本能に関わる行動全般は、遺伝子によるものであるという視点である。進化心理学の視点から考察されたあらゆる事象や認知は、遺伝子その目的のために、そのように認知するよう最初からプログラムされていたのではないか?

遺伝子の目的というのは、自らの情報を次世代に継承することである。その手段として、器となる肉体が存在し、その肉体の生存と複製プロセスが定められている。

生存の達成プロセスには呼吸や睡眠などの不随意行動が臓器や細胞レベルでプログラムされており、繁殖の達成プロセスには性徴や恋愛感情、性交などが含まれる。しかもその肉体は脳や神経系、筋肉系、骨格などのあらゆる機構が最適化されており、細胞分裂による自己修復機能まで備えている。

この肉体そのものは、遺伝子が次世代へその情報を継承するための一時的な器でしかない。そして遺伝子は、より強く、次世代以降に継承されやすい存在となるため、他者の遺伝子と交配する必要がある。その必要性が要求したのが繁殖行動であり、それを僕たちが理性的な後付で恋愛と名付けているだけである

さて、このように「次世代へ情報を継承する」という強力なインセンティブをもち、それに向けてほぼすべての行動原理を司る遺伝子という存在に対し、特に「繁殖」の領域において反旗を翻したのが、僕たち非モテという存在である

僕は以前このエントリで、非モテの苦しみは100%消え去るものではなく、3%だけは苦しみ続けると説明した。この3%にあたるのが、まさに遺伝子側からの最後の抵抗であるのだ。この3%が、このエントリの考察テーマである。

junny-policies.hatenablog.com

多分、子孫を残したい側である男性にとって、モテたいという欲求は本能的なものだ。だからどんなに理性と論理をもってこれを否定したとしても、3%ほどは「モテたい」が残ってしまう。僕はこの3%を、一生抱えて生きていくことになるだろう。これがモテない苦しみの中で最も重要なものである。それでも97%はこの欲求を抑えられる。だからこうして僕はこのエントリで、この97%を否定し、解消してやろうと試みているのである。

遺伝子はあらゆる方法で、僕たち非モテに繁殖せよと行動を促してくる。その1つが、寂しさという感情だ。第二次性徴期以降、性的に成熟し繁殖が可能な年齢以降、この要求は強くなり、他者と繋がり合いたいという欲求を起こさせる。

僕の推定では、この時何かのホルモンが分泌されているに違いなく、それを受け取った脳が寂しさという感情を作り出しているに過ぎない。ここでも進化心理学が登場するが、おそらく寂しさを感じない、つまり脳に寂しさの受容体をもたない個体は、誰とも繁殖行動を起こすことなく、寿命とともにそのまま滅んでいったのだ。

そうだ、これも遺伝子の為せる技だったのだ。僕たちは寂しさを感じていたのではない。遺伝子のプログラムした化学物質的な作用によって、寂しさを認知させられていたに過ぎないのだ

寂しさとは、進化学がもたらしたただの感情因子でしかなかったか!いや考えてみると、食事や睡眠や排泄ももちろんそうだし、快楽を得るための行動全ても、遺伝子が構築した肉体という機構によって定義されていたのではないか。つまり遺伝子とは、人間存在の行動定義の全てなのか。ならば僕個人という存在にどれだけの価値があるというのだ。僕は気づいてしまった。僕という存在は、遺伝子が次世代へその情報を伝えるための、一時的な宿主でしかない

junny-policies.hatenablog.com

ラーメンや焼肉はなぜ美味しいのか。ラーメンや焼肉を美味しいと感覚する理由は何か。
ラーメンや焼き肉を美味しいと感覚するのは、これらの食物に含まれているタンパク質や炭水化物、塩分などが、僕たちの身体を生物として維持するのに必要であるからだ。それらの栄養分を摂取しないと、健康に深刻な問題が生じるのである。
僕たちが用を足すことに快感を伴い、その排出されたもの自体を不快に感じる理由は何か。第二次性徴期に異性を欲し、射精に快楽を伴い、あるいはセックスによって肉体的にも精神的にも満たされるのはなぜか。
僕たちが用を足す時に快感を覚えるのは、それを体外に排出することで老廃物や毒素を排出し、健康を維持するというインセンティブがあるからである。またその排泄物を嫌悪するのは、その排泄物が健康を害する物体であることを遺伝的に認識しており、それに悪臭を感じ遠ざけることことをプログラムされているからだ。それを嫌悪しない連中は、やはり病気に弱く、進化の過程で絶滅したのだろう。

進化心理学は、僕のようなコミュ障の個体の存在価値を説明するのに応用することができる。例えば僕のように、コミュニケーションが不得意でも、周囲の様子のちょっとした変化や音に敏感な個体が今も生きており、そしてそのような個体が数多く存在するということは、おそらくこれまでの人類の生存上、一定数のそういった個体が必要だったからなのだ。何世代にも渡る交配の結果、そういった形質をもった個体がたまたまこの世に存在し、それはたまたまその能力が現代のような高度コミュニケーション全盛の時代において評価されないだけのことである。

ちなみにこのような連中のことは現代的にはアスペルガー症候群と呼ばれ、現代の価値観でこそまるで役立たずのような扱いを受けているが、群れの樹上生活をしていた何万年も前の時代であれば、天敵の接近にいち早く気づくなど、群れを守るためのレーダーとして活躍できていただろう。僕たちの欠点であるような形質は、類人猿時代までさかのぼってみれば役に立たないものなどあるわけがない。そういう形質が継承されたということは、それが生存と繁殖に貢献した証拠となる。

遺伝子と肉体の主従関係

これに限らず、多幸感を覚えるホルモンとしてオキシトシンがあり、快楽を覚える物質としてドーパミンがある。要はこれらは化学物質であり、このような化学物質を生成する機能すら、遺伝子はその肉体に構築しており、必要に応じてこれらのホルモンを分泌させて、肉体に行動を促す。その全ては自らの情報の継承のためだ。

こうして考えていると、やはり遺伝子の要求に逆らうということがどれだけの困難を伴うか、考えるだけで気が遠くなる思いだ。そしてそれは、ただ後天的に愛だの恋だの名付けられているだけであり、人間の本質というのも、その他大勢の生物と変わらず、繁殖と生存だけがその目的なのだろう。その手段として、社会性だとか、器用な手指とか、あるいは大脳だとかを獲得したに過ぎないのだ。

けれど、僕のような非モテの苦しみを次の世代に継承させるほど、僕は子供に対して非道ではない。だから僕は一生、遺伝子の繁殖要求に抵抗する。遺伝子などに負けてたまるものか!あぁ、これはなんと孤独で不毛な戦いなのだろう。

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