非モテ恋愛弱者のブログ

旧「非モテ系のままで生きていくブログ」から、恋愛弱者男性ブログに進化しました。レベル36の限界中年/異常独身/非モテのブログ。もう人生折り返しました。残りの人生を頑張らないで生きていこうと思います。なおこのブログには、モテる方法は1つも書いていません。

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非モテやオタクは「優しい世界」から「異世界」へと旅立った

このエントリは、浅薄を極めた僕のアニメ知識を絞り出して書くのである。そしてその中には、非モテやアニメオタクへの偏見がおそらく多分に含まれている。読者を不快にさせる意図はないが、はじめにアニメ門外漢たる僕がアニメネタでエントリを書くことを許してほしい。

アニメ作品の分類と視聴者層の前提条件

さて、インターネット社会が発達したここ15年ほどの間、ヒットしたアニメを挙げてみよう。僕が思いついたのは、ゼロの使い魔涼宮ハルヒの憂鬱灼眼のシャナハヤテのごとく!などのツンデレヒロイン系らき☆すたけいおん!ご注文はうさぎですか?、ガールズ&パンツァーなどの男性排除系、そしてこの素晴らしい世界に祝福を!転生したらスライムだった件などの異世界転生系にそれぞれ分けられると思う。これらの作品は、アニメオタクではないこの僕が知っているのだから、これらの作品は大変人気があったのだろう。

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僕はこのエントリで、各々の作品の是非を論じるわけではない。しかし僕はある仮説を立てている。すなわち、時代に応じて流行りのアニメのコンセプトがツンデレヒロイン系、男性排除系、異世界転生系と移り変わっているということは、こういったアニメの主な視聴者である非モテやオタクの趣味嗜好がやはり移り変わっているということを意味するのではないかということだ。趣味嗜好に合わないアニメが売れるわけもなく、そこに相関がないということはないだろう。

2020年の半ばにさしかかっている現在において、例えばツンデレ系ヒロインと振り回され系ヒーローが登場するアニメはもう流行らないのだろうか。僕が思うに、それは主な視聴者層の年齢によってくると考えている。

ツンデレヒロイン系のアニメが流行ったのは、2000年代の後半にかけてである。男性排除系のアニメが流行ったのは2010年代の前半、そして異世界転生系は2010年代後半以降にそれぞれ広がりをみせた。

そしてアニメ視聴者の年齢層を考慮に入れてみる。おそらく視聴者層というのは、未婚の割合が相対的に多い氷河期世代とそれ以降の年代が中心である。ツンデレヒロイン系が流行った2000年代の後半といえば、氷河期世代がアラサーと呼ばれる年齢層だった。そして男性排除系が流行った2010年代前半は30歳以降、さらに異世界転生系が流行る2010年代後半ともなれば40歳前後となる。

恋愛が許されたツンデレヒロイン系

おそらく、ツンデレヒロイン系が流行っていた2000年代後半、氷河期世代たる彼らは多少なりとも異性との交流を望んでいたのではあるまいか。しかし彼らは、自らの経済的な境遇が覚束ず、そして自身の性的魅力に欠けることも知っていた。その1つの逃避になったのが、ツンデレ系ヒロインとの疑似恋愛だったのかもしれない。

ツンデレ系ヒロインは勝気で快活な性格で、キョンや才人のような、少々冴えないヒーロー役の男性キャラクターに喜怒哀楽をストレートに投げつけてくる。ツンデレ系ヒロインに悪態をつかれながらも心のどこかで認められているヒーローに、視聴者は自分を投影した。このように感情をぶつけられることを、当時の視聴者たちは求めていたのではないだろうか。少なくとも彼らは、現実世界においては嫌悪や排斥しか投げつけられたことがなかったのだから。彼らが当時30歳前後で、普通であれば最も結婚願望が高まる年齢であり、異性とのコミュニケーション欲求が高まる時期でもあったことも理由の1つだろう。

時代は進み2010年代になると、彼らも30代中盤を迎え、結婚そのものが絶望的になる。そうなると、多少なりともヒーローに感情移入しヒロインのツンデレを楽しんでいた彼らも、そんな未来は彼らには存在しないことがわかりきってしまう。あるいはヒロインが大切に想っているのは自分自身ではなく、あくまでキョンや才人などの、画面の中の特定の人物であり、決して自分自身ではないことを悟ってしまう。そうして彼らは、その先にある幸せな恋愛や未来をみせたツンデレヒロイン系の作品から距離をおくようになる。作品を自分ごととして捉えられなくなってしまい、自分とは関係ない世界だと認識して興味を失ってしまうのだろう。確かに他人同士の恋愛沙汰など、この世で最も興味のわかないコンテンツの1つである。

男性の存在が排除された美しく優しい世界

そして彼らは、男性排除系のアニメに没頭することになる。いわゆる美少女動物園である。

僕が思うに、ツンデレヒロインがいた作品は、登場人物が誰しも喜怒哀楽のある人間らしさが描かれていたように思う。僕はそれを「毒素」と表現する。人間というのは誰しも何かしらの「毒素」を抱えていて、それは社会的なコミュニケーションに不可欠なものであり、ある意味感情と同等に人間を人間たらしめている要素であるが、そういった「毒素」を極限まで薄めて覆い隠したのが、男性排除系のアニメ作品群である。よってこれらの作品は、絵こそ可愛く描かれているが、その人間性は友情と親愛に満ち溢れており、そういう意味で明らかに非人間的である

非人間的な存在を嗜好する。この時点で視聴者は、人間それ自体を拒絶したのかもしれない

また、これらのアニメから男性キャラクターが排除されたのは、おそらくいくつか理由がある。まずは上述の「毒素」であるが、おそらく男性キャラクターは、自分自身をはじめとした男性がもつ暴力性や不潔さ、あるいは連想される社会的な抑圧を含む複合的な、視聴者自身を苦しめる「毒素」の象徴であったのかもしれない。現実逃避や癒やしのためにアニメを見ているのに、そういった毒素に触れて癒やし要素を阻害するわけにはいかない。

そしてやはり男性キャラクターとの恋愛模様を描いても、恋愛が許容される年齢を超えてしまった視聴者には魅力的に映らない。しかも現実世界は、恋愛に限らずコミュニケーションの部分で、男も女も視聴者層たる非モテやオタクなどの弱者男性には厳しい。そうして彼らは傷ついてきた。そういった息苦しさや厳しさから逃避するために、毒を排除した人間だけで構成されるコンテンツが必要とされたのだ。見よ、これらの男性排除系のアニメ作品を。かわいい女の子がかわいいことをしているだけの作品であり、それを隔絶された世界から観察しているだけでいいというのだ。

弱者男性は、どれだけ苦しい思いをしてながら生きているのだろう。ヒーローは自分ではなく、そして男も女も、そして世の中そのものも、美しいものではないことを知った。ならば男が一切存在しない世界を構築し、さらに女の中から可愛さと優しさのみを抽出し濃縮した存在を創造し、自らはその存在が織りなす優しい世界の傍観者に徹することにしたというわけだ。

生きることは苦しいので異世界に逃げたくなった件

さて、2020年になっても流行っている異世界転生系アニメである。僕は「生まれ変わる」ことを考察したエントリで、以下のようなことを書いている。

junny-policies.hatenablog.com

僕の独断と偏見によれば、このような異世界転生ものの小説を好む連中は、実のところ、自分があらゆる意味で不満を抱えている。それはすでに生きている限り好転する見込みがない。現実世界においては死をもってでしかそれが解消されえないのだ。その絶望は筆舌に尽くしがたい。しかしそれでも人生は続く。せめて、何も知らぬがための万能感と健康で若々しい肉体を誇った10代後半から、今一度人生を歩みなおすことができたなら!そんな願望が著作として現れたのが、異世界転生系小説というわけだ。

そうだ、弱者男性のまま生きてきて、今や人生の半分を過ぎ、逆転ホームランの可能性もなくなってしまった人たちがいる。それは絶望的であり、死をもってでしか解決されようのない不満である。しかし今この場で死ぬことはできない。だからこそ、せめて創作の世界では、人生をもう一度、活力あふれる10代から「強くてニューゲーム」状態でやり直したいと願っているのだ。異世界転生系はそれを叶えてやることができる。知識を持って尊敬されるも、強力な魔法で周囲を圧倒するも、ハーレムを構築するのも思うがままだ。

時が流れて不惑の年齢が近づきつつも、自分の人生を諦めきれない非モテやオタクたちは、それでも認められたくて、異世界に逃避することになった。その世界では、自分の知識がすごい!ありがたい!と好意的に受け入れられ、有能であると承認され、それによって自分より知識や文化の水準に劣る異世界の人々に対しマウントを取ることができた……自分が普段現実世界でやられているのと同じように。

承認を得られない弱者男性の癒やし

非モテやオタクをはじめとする弱者男性というのは、何とこれほどまでに承認されず、不可視化された存在だったのだろう。社会や異性に承認されない人生を、こうしたメディアコンテンツによって必死に精神を保ちつつ生きてきたのだ。その現時点における対応形態が異世界転生系なのだ。ツンデレヒロイン系のときはまだ、主体的かつ対等な男女の交流が描写されていた。そして男性排除系のとき、自らの存在をコンテンツの世界からも消去した。今は現実から飛び出して異世界における主人公をアバターとして見ているのか。

2021年5月3日:本エントリの続編を書いた。

junny-policies.hatenablog.com

このように弱者男性は、アニメで現実逃避をしつつ、現実に折り合いをつけながら、それでもなお1日1日を、人生という名の一人旅を力強く歩んでいこうというのだ。このように苦しみに打ちひしがれながらも必死に生きていく僕たち非モテや弱者男性の人生は、やはり尊いものとみなされるべきだ。他のすべての生きとし生けるものと同じように。

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