非モテ系のままで生きていくブログ

管理人は、寺社仏閣と鉄道と飛行機と猫を愛する非モテ系。モテないままで、流されることなく、流れるように、頑張らないで生きていく。旅行したり仕事とか人生とか考察したり。

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女に嘘が言えない誠実な男はモテない

世界中を敵にしても君を守る

いや何言ってんのと問い正したい。

なるほど。すばらしい。世界中を敵にしてもその女を守らなければいけないシチュエーションを考えてみよう。その女が何かの罪を犯して世界中を敵に回したならば、ぜひあなたが世界中を敵にしてもその女を守るがいい。SNSの炎上は今や世界中に燃え広がるから、あながち起こらないとも言い切れないだろう。世界がその女の死を望んでも、それにただ1人抵抗するがいい。そもそも世界中を敵に回すような女を守ることは大変な困難を伴うはずだ。その女は世界に仇なす極悪人である。それを守るということはあなたもやはり極悪人である。あなたもその女も、世界中から、物理的にも精神的にも攻撃されるのだ。あなたは自分の身を守ることすら覚束ないのではないか?

本当に世界中を敵に回す覚悟があって言うのならともかく、その覚悟がないのにそれを言うのは、つまり嘘をついているのではないか?

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100年先も愛を誓う

100年先も愛を誓うのか。今あなたは何歳なのだ?100年後、あなたは何歳でいるつもりなのだ?それは通常の人間が生きている年齢なのか?僕の常識では、おそらくほぼすべての人は100年後に生きていないと認識しているが、100年先に誓ったその愛の存在をどうやって証明するつもりなのだ?

なるほど、100年後というのは死ぬまでという意味で、ただの言葉の綾だというのか。ならば死ぬまでと言えばよかったではないか。

嘘を評価する女と、嘘を許さない男

男同士であるならば、できない約束をした場合、その男の評価はひどく損なわれる。できないことはできないと言う男のほうが、圧倒的に誠実であるとみなされる。しかし女はそういう判断基準をもっていないらしい。ある男が正直に「世界中を敵に回したらさすがに守るとか無理だわ」とか自分の彼女に言おうものなら、彼女からその男への信頼はひどく損なわれるだろう。

女の判断基準のよく分からないポイントだ。女は嘘を好む。それも途方も無い嘘を。それが叶うのかどうか、現実的な実態を見ようとしない。けれども女にとっては、おそらくその約束や誓いが守れるかどうかは大して重要ではない。それよりも「自分の為にそう発言してくれたか」が重要なのだろう。

女はおそらく、その本気度や覚悟のようなものを見極めているのだ。つまり男はそういった本気度や覚悟がなければ、女を自分のものにすることはできないのだ。

モテ非モテを分けるのは、実はこの「嘘を言える」というのがポイントであるような気がする。究極的には、好きじゃなくても好きだというし、美しくなくても君は美しいという。そういうことができるのなら、おそらく僕たちは非モテであり続けることはないだろう。

ところで歌手の中島みゆきは、名曲「空と君のあいだに」で、

君が涙の時には 僕はポプラの枝になる
孤独な人につけこむようなことはできなくて

君のことが分かると たやすく誓える男に
なぜ女はついていくのだろう そして泣くのだろう

と歌っている。この歌詞は、ドラマ「家なき子」の主人公すずの飼い犬であるリュウの視点ですずを見ている、というのがテーマになっている。残念ながらリュウが見ているすずと、僕たち非モテが見ている好きな女性は似たようなものだろう。孤独でなくともいいのだが、気分が落ちたりしているところにすり寄っていくような、男の価値観からしたら非常に格好のつかない手段で近づこうなんて考えない。そういうときは1人になったほうがいいことを、非モテは身にしみて知っているからだ。

そこにイケメンリア充DQNが現れる。その男が、心にもない言葉で彼女を誘惑しているのがわかる。非モテは、それが嘘だと見抜いている。けれども彼女はその男についていってしまい、後々その男に大切にされないと泣くことになる。そうして彼女が落ち込んだ様を見て、女というのはなぜたやすく約束ができてしまうような男についていき、そして泣くのか、困惑してしまうのだ。

この絶望的な「誠実さ」の定義の差!非モテはいつもこの間で苦しんできた。

誠実さの定義は男女で異なる

junny-policies.hatenablog.com

僕はこのエントリで、誠実さの定義が男女で異なるという論を展開した。

男にとっての誠実さとは、不義理を働かない、嘘をつかない、他人が不快になるようなことはしない、というようなことだ。どんな非モテであっても、この約束を守っている限りはモテ非モテに限らず「いい男」であるとみなされ、一定の存在価値が承認される。そのため、世界中を敵にしても君を守る、というようなことを男社会の中で約束しようものなら、こいつは信用できないと評価され、その集団の中では尊重されなくなるだろう。

しかし女にとっての誠実さは、嘘をつかないとかできない約束をしないというところは評価ポイントではない。むしろ自分が惚れた男なら、彼の多少の嘘は許してしまうくらいだ。それよりも女にとって重要なのは、しようと思えば浮気できるほど優秀で強い男が、つまり性的価値の高い男が浮気しないでいてくれることであり、そういう男が自分を特別扱いするために、嘘でもいいからそれを言葉で伝達してくれることだ。

嘘をつくくらいなら非モテでありたい

僕は嘘をつくのが大の苦手だ。僕にとって嘘は何の価値もない。きれいで美しい言葉で語る嘘よりも、耳障りで聞き苦しい言葉によって語られる現実のほうが圧倒的に価値があると、僕は信じている。そんな価値基準をもっている男どもが、好きでもない女に好きだと言えず、美しくない女に美しいと言えず、嘘をつかれてでも特別に扱われたいという女の希望を叶えてやらないからこそ、僕のように非モテになっているのではないか。

とはいっても僕は、自分が今嘘をついていると認識しながら嘘をつくというのに大変不快を覚える性分である。例えば僕がある女に美しいと言わないなら、その女は事実として美しくないのだ。これは道徳的に正しいことなのだが、僕はそう考えている限り非モテのままである。美しくない女に美しいと言えない男はモテない。

けれども僕は、嘘をついてモテ側の人間になるくらいなら、嘘をつかずに非モテであり続けよう。道徳的な正しさこそ、それが非モテの僕が生きる上で特に重要なものだからだ。僕は非モテであっても、嘘をつくことなく、義理は欠かさず、他人に不快をもたらさないように生きることを目標にしている。そのほうが道徳的であると信じているからだ。もし女と親密になるためにそうした道徳を捨てなければならないのなら、僕は喜んで女の方を捨て去るだろう。

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