非モテたちはインセルではなくMGTOWになろうぜ
インセルという海外の非モテ過激派
https://www.huffingtonpost.jp/2018/07/26/incels-looksmaxing-obsession_a_23489826/
インセル(incel)はinvoluntary celibate(望まない独身者)の略称である。非自発的禁欲者とも言われ、外的要因によって性的関係をもつことのできなかった非モテ男性を指す。
インセルが憎悪するのは、リア充男たるチャドとリア充女たるステイシーである。
インセルは、性的魅力や性的資源が有限であることと、それらがインセルのものではないことを知っている。それらはチャドとステイシーのものだ。なぜなら自分の容姿や育ち方すべてにおいて、チャドが属するリア充グループに入れる要素がなかったから:究極的には、遺伝子のくじ引きに負けたからである。
それでもインセルは、自分たちの性的資源の取り分を残さないチャドと、自分たちを差別し蔑視するステイシーに羨望と憎悪を向けつつ、自分たちにも性的資源は相応のものを割り当てられるべきだと主張する。
インセルが注目されたのは、アレック・ミナッシアンがカナダのトロントで起こした自動車テロ事件以降である。チャドとステイシーに復讐を誓い、合わせて10人の一般人を殺害したアレックは、インセルのヒーローであるエリオット・ロジャーに続いて社会への復讐を果たしたとして、彼もまたインセルのヒーローとなった。
面白いのは、これまでインセルのことを一切気にもとめず、あるいは透明化していたステイシーども(アルファ層のリベラルどもを含む)が、インセルに対して「あなたには価値がある」というようなメッセージを出したことだ。
全くそんなことを思ってもいなかった(し、そして今でもそうは思っていない)くせに!このステイシーどもは、これまで自分たちが無意識的に排斥してきたインセルどもによって、自らの身に危険が及ぶことを理解した途端、その保身のためにインセルを認めたのである。
ちなみにこのステイシーどもは、その性的価値の一部を、インセルどもに分け与えたわけではない。あなた方には価値があると口走っても、心体ともに、インセルどもを抱擁することはなかった。ステイシーどもは口先だけで、インセルを宥めようとしたのだ。言行不一致の極みにして、まったく滑稽なことだ。
まぁとにかく、インセルはこのように、非モテの原因を積極的に他者に帰する連中であるが、非モテを極めたこの僕は、その背景を多少なりとも理解できる。彼らも非モテで辛かったのだ。悲しかったのだ。悔しかったのだ。そしてどうにもならなかったのだ。
彼らは実のところ、性的資源そのものが欲しかったわけではない。それよりも必要だったのは、異性からの存在承認だった。あなたを受け入れる、あなたには価値がある、あなたは素晴らしい、そういった承認が家族以外の女性から欲しかったのだ。
実は、僕は優しくされたかったのだ。認めてもらいたかったのだ。彼女たちには目に入らなかっただろうが、僕は彼女たちの承認をもって、僕が男として存在していいのだと認めたかったのだ。唯一無二の存在に、特別な存在になったという事実が欲しかったのは否めない。僕は存在を承認される必要があったのだ。けれどもその中でも僕は、他の誰でもなく、彼女にとっての唯一無二の存在に、そして特別な存在として承認されたかった。
確かに僕たち非モテは、インセルと同じく、チャドとステイシーの被害者である。けれども僕たちは、彼らの誰をも傷つけてはならない。
僕はこのブログで繰り返し主張しているが、非モテに必要なのは、モテることを諦めるという許容と、モテるための誘惑に一切動じない確固たる精神と、それによってもたらされる安らかで清らかで静かで穏やかな日常である。
犀の角のように唯一人歩め。インセルのように、憎むという形で積極的にリア充どもと関わり合いになり、あるいは他者を積極的に傷つけようとする態度は、非モテの生き方として穏当ではない。ましてやインセルの思想をもち、銃や自動車で無関係の市民を殺して回るテロリストどもなど崇拝してはならない。
どうせモテないしMGTOWになろうぜ
もはや僕たち非モテに、女性がもたらしてくれるような幸せは不要である。僕たちは僕たち自身の力によって、幸せな人生を歩むことができる。
MGTOW(Men Going Their Own Way)は、「我が道を行く男たち」とでも訳せるだろう。MGTOWの人々には、結婚や恋愛について、コスト的にもリスク管理的にも不利益であるという考えが念頭にある。そのため女性に関わること全てを回避するというのが行動原則である。それは日常生活において必要最低限のコミュニケーションしか取らないということであり、僕たち非モテにおいては女性との関わり方の行動指針となりうる。
言い換えれば、MGTOWは女性を女性としてみなさず、男性を男性としてみなさない。その性的役割分担は一切考慮せず、全ての人間は男女問わず、ただ1人の尊重されるべき人間として存在する。ある意味で男女平等の究極形態である。
僕は女性に全てを期待しない。だから、冷たく扱われても傷つかないし、逆に望外にも親切に接してくれれば深い感謝の気持ちが芽生える。そして僕は、容姿を含めた僕の遺伝的形質が、性的魅力に劣ることをよく知っている。なので僕に好意を仄めかして近づいてくる女性は最高レベルの警戒対象である。
彼女は何を考えているのか分からないが、僕と近づいても僕から得られるものは何一つないはずだ。それでも近づいてくるなら、僕に被害が及びそうなろくでもないことを考えていることは確かである。
僕は以前、モテたいという欲求は本能的なもので、消し去ることはできないと記した。
モテたいという欲求は本能的なものだ。だからどんなに理性と論理をもってこれを否定したとしても、3%ほどは「モテたい」が残ってしまう。僕はこの3%を、一生抱えて生きていくことになるだろう。これがモテない苦しみの中で最も重要なものである。
この3%は、僕たちが非モテであるという呪印であり、識別子であり、勲章でもある。これは容易に消えてなくなることはないので、消えるその日まで大事に取っておこう。それが非モテである自分を許容するということだ。MGTOWの人生はここから始まる。
考えてもみるがいい。結婚などしたら大変なことだ。小遣い制になって遊べなくなるし、毎月花束やワインを買っていってご機嫌取りをしなければいけないかもしれない。望みもしないセックスにも応じる必要がある。僕の好きなサッカークラブチームの応援のためスタジアムに行ける回数も減る。気分が優れないのに昼過ぎまで寝ていられないのも辛い。
万が一離婚してしまえば財産の半分を失ってしまう。あぁ、どうしてこんなに不自由になってしまったのか。
恋愛などしようものなら、痴漢や強姦魔に間違われるリスクを負わなければいけない。恋愛関係を維持するためのコストは?時間は?そのコストや時間を失うことにリスクはないか?それによって僕は何が得られるのだ?
だからMGTOW(Men Going Their Own Way):「我が道を行く男たち」なのである。
こうして女性と関わることによって発生するリスクとコストを、MGTOWは徹底的に回避するのである。そう考えると、実は「ハラミ会」もMGTOWの一形態なのではないか。女性も女性とて、僕たち非モテから何か恋愛的なアプローチなどされては迷惑だろう。MGTOWは、女性諸君にも大変メリットのある処世術であると思う。
MGTOWがインセルと比較して優れている点は、女性を自分の人生から排除することについて、社会的に適度に折り合いをつけられる柔軟性をもっていることである。MGTOWはインセルと異なり、チャドやステイシーに復讐を込めて害をなそうという発想がそもそもない。むしろ積極的に彼らを拒絶し関わりを断つ。あちらはあちらでこちらはこちら、世界が違うのだから放っておいてくれというわけである。
またMGTOWは、性的役割から完全に降りているともいえる。誰も彼も平等なただの人間でしかない。しかも社会的に必要なコミュニケーションは必要最低限は維持するというのだから、職場などでも支障が出ることはない。もちろん男性同士であるなら、ホモセクシュアルでもない限り恋愛には発展しないため、引き続き友人関係を維持することができる。
僕たちは非モテのまま静かに消えていくべきなのだ。MGTOWはその助けになるだろう。僕たちの人生が終わったあとには何も残らない。後腐れもないし、それでいいじゃないか。