ワシントンDCのアーリントン墓地でアメリカの戦争観を考察した話
日本とアメリカの戦争観の違い
アメリカ合衆国の首都ワシントンDCの郊外には、アーリントン国立墓地という、アメリカ軍人の墓所がある。
かつて僕は、大阪の真田山陸軍墓地と、広島の呉海軍墓地を訪れたことがある。
軍オタである僕は、かつて敵味方に分かれて戦い散っていった兵士たちを、彼我の区別なく尊敬するものである。
戦争における殉死について考えてみると、大日本帝国と現在のアメリカは、言っていることが共通している。平たくいえばどちらの国も「国のために殉じるのは名誉であり誇りである」と言っているのである。
いや実際のところ、滅私奉公を文字通り達成した勇敢な兵士は、それが日本人であろうとアメリカ人であろうと、讃えられるべきであると思う。しかし、僕の受けてきた教育によるところが大きいのかもしれないが、日本のそれというのはどうも、いわば「同調圧力によって国のために殉じざるをえなかった」という感が否めないところがある。
一方でアメリカのそれは、おそらく本気でそう思っている。ヒーローを好むアメリカ人の国民性もあるかもしれない。アメリカは偉大であり、自由のために戦って死ぬことは英雄的な名誉であるというのだ。
アメリカの戦争は、自由のための戦争である。暴力による抑圧をもって支配する枢軸国を、正義の国アメリカが打倒し、その地に(アメリカにとって都合の良い)秩序と自由をもたらすことを目的とする。それをもって世界平和に貢献することは、人類の発展に資することになる。しかしてそれは人類の発展とアメリカ合衆国の栄誉に貢献したこととなり、大変名誉なことであるというのだ。
そうしたアメリカの戦争観は、ワシントン市内のナショナル・モールに点在する戦争記念碑などによく現れている。日本の戦争記念碑が「あやまちは繰り返さない」というあの広島の平和記念公園の記念碑を筆頭に、戦争に対しての反省と反戦の決意をあらわしているのに対し、アメリカのそれは「自由と平和のために戦い命を落としたアメリカ人の栄誉」を後世に残そうとしている。
それをただ文化の違いと捉えてしまっていいのだろうか。アメリカにとって戦争とは何なのだろうか。そんなことを思いながら、僕はアーリントン国立墓地を訪れたのである。
アーリントン墓地を歩く
常に半旗が掲げられる墓地管理事務所。アーリントン墓地に参拝するには、手荷物検査をクリアすることと、パスポートの提示が必要となる。
見渡す限り白い墓標が整然と立ち並ぶ。アメリカは日本とは異なり土葬文化なので、つまりこの墓標1つ1つの下に遺体が眠っているということになる。だからアメリカのホラー映画のゾンビは墓から這い出してくるのである。キリスト教の「復活」にあたっては肉体が必要であるためだが、霊魂のような実態を伴わない存在を恐怖の対象とする日本のホラー映画との違いを感じてしまう。
アーリントン墓地は小高い山のようになっており、上方には元帥や提督などの上級将校の墓も並ぶ。墓石の大きさも大きく立派になる。上方からは、アメリカ国防総省のオフィスビル「ペンタゴン」を見下ろすことができる。
せっかくなので有名人の墓にも参拝しておこう。こちらはケネディ大統領墓所。ジャクリーン夫人を並んで埋葬されており、今でも参拝者が絶えない。
無名戦士の墓。身元不明の遺体を殉死した兵士の代表に見立てて埋葬しており、24時間衛兵がこれを守っている。身元がわかった場合は無名ではなくなるため通常の墓地に再葬されるらしい。
スペースシャトルのチャレンジャー号乗組員の墓標(左手)とコロンビア号乗組員の墓標(右手)。チャレンジャーとコロンビアはそれぞれ事故で喪失したが、ウドバー・ハジー・センターでスペースシャトルの展示を見てきたこともあり、言いしれぬ感銘を受ける。つまり彼らもアメリカに殉じた英雄なのである。
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アメリカ合衆国海兵隊記念碑。ピューリッツァー賞を受賞した、硫黄島の戦いにおいて擂鉢山に星条旗を立てるアメリカ海兵隊の兵士の像。「父親たちの星条旗」などの映画で知っている人も多いだろう。アメリカ海兵隊が活躍した戦いも碑に刻まれており、硫黄島の戦いの他にも沖縄の戦いなどの碑文がある。
ナショナル・モール内の戦争記念碑
ナショナル・モール内にはいくつかの戦争記念碑が設置されている。アメリカにおける戦跡巡りも兼ねているので、それらを見にいってみることにした。
朝鮮戦争記念碑
進軍する連合軍兵士の人形が並ぶ。
「Freedom is not free」。このスローガンを僕は知っている。僕は韓国の首都ソウルの、朝鮮戦争をテーマにした戦争記念館を訪れたことがある。「自由は無償ではない」というこの碑文は、この記念館が発していた強烈なメッセージである。
ベトナム戦争記念碑
ベトナム戦争記念碑は、戦死した兵士の氏名と出身州を、御影石に刻んだものとなっている。長めのスロープの壁いっぱいに5万もの人名が彫り込まれているのだが、これら1人1人に家族や友人や恋人があったかもしれない。
戦死というのは数でしか見えないことが多い。しかしそれが人名として可視化されると、途端に人間像とその死が、具体性をもって語りかけてくるような気がする。そうして僕は気分が沈む。
第二次世界大戦記念碑
記念碑の全景パノラマ。写真左手に太平洋戦争の記念碑が、右手にヨーロッパ戦線の記念碑がある。正面奥にはワシントン記念堂を望む。
記念碑にはヨーロッパ戦線のノルマンディー上陸作戦と、太平洋戦争のミッドウェー海戦の勝利とがそれぞれ碑文で刻まれている。写真はヨーロッパ戦線側を撮影したものである。
柱はアメリカの各州と準州や自治領の名が刻まれ、あわせて56本がある。それらは各州から戦地に赴いて殉死した兵士の栄誉を称えているのである。
第二次世界大戦において「海での勝利」を記念するレリーフ。「空での勝利」や「陸での勝利」もある。
「アメリカによってもたらされる自由」の必要性とヒロイズム
さて、これらをふまえて、僕が考えるところのアメリカ的な戦争観とヒロイズムについて考察してみることにする。
19世紀にクラウゼヴィッツが「戦争論」で看破したとおり、実際のところ、戦争というのは外交の一形態に過ぎない。少なくとも僕が歴史を学ぶ上で知ったいくつかの国際戦争:日露戦争、第一次世界大戦、日中戦争、太平洋戦争などは、資源情勢や地政学的に権益や利害を持つ国同士が、対話によって解決しえずに起こしたものである。
それは根源的には「国民を食わせていくため」という植民地の宗主国的な戦争目的に帰せられるのであり、その戦争における死は、「国家・国民のための殉死」として扱われることは理論的には差し支えない。
アメリカ合衆国という国は、20世紀を通じていくつかの大きな戦争に関わっている。それらの戦争において殉死した兵士も相当数いるのであるが、アメリカはそうした兵士に敬意を払い、その功績と勇気、そして栄誉を称えることに努力を惜しまない。それは、アメリカの戦争は人類の自由を守り、あるいは人類を抑圧から解放するための名誉ある戦いであるというスタンスが一貫しているからである。
ナショナル・モール内にあるPrice of the Freedom。自由の代償とでも訳そうか。星1つで100人、自由の名の下に、全部で60万人ものアメリカ軍兵士が殉死している。
しかし僕が腹落ちしないのは、アメリカという国は、戦争になると割と平気で非人道的な作戦を実行することである。ベトナムには後先かまわず枯葉剤を撒いたし、日本には実験とソ連への示威も兼ねて広島と長崎に核爆弾を投下し、あるいは東京市街地に夜間爆撃を加えて1晩で10万の市民を殺害することもあった。
このようなアメリカの戦争のどこが英雄的であるのだろう。おそらくアメリカにとって、例えば東京大空襲で10万人が、広島への原爆投下で8万人が死亡したことは、それは1つの戦果でしかない。そうではなくて、「アメリカ型の自由主義の輸出」に貢献した兵士を名誉として称えているのではあるまいか。その過程で敵国側の名もなき一般市民が命を落とすことは、必要な犠牲とみなされ、あるいは当たり前のように顧みられていないのではないか。
これもおそらく、アメリカ自体が軍隊を保有しており、あるいは兵役があるからだろう。軍隊が身近だし、軍隊はアメリカに貢献するものであるし、そのため軍隊は栄誉職でなければならない。その軍隊は、命令に応じてどのような作戦も実行する。それはアメリカに貢献するからである。人道的な理由があろうが、それに反対したならば、軍命違反で処分されるし、軍籍からも追放される。それが軍隊組織というものだし、アメリカに貢献しようとする者の態度としてふさわしくない。そしてそれらは、敵国側の都合など当然にお構いなしである。
例えば、太平洋戦争を指揮しその後退役した軍人も、日本への空襲作戦は命令だったから実行したと発言している。それは軍人として当然の対応である。その意味での「無私」、すなわち道徳的な、あるいは人間的な価値観を(おそらく大変な苦痛を伴いながら)否定し、命令を忠実に実行し、同じ人間(といっても彼らの場合、黒人と黄色人種に対しては差別感情を持っている可能性が高い)を殺戮するという行為を、国家のためという義のもとに実行すること、その行動自体が称えられる対象であると考えられる。
一方、日本は兵役の義務がないため、そうした軍隊的なヒーローのような概念はあまり理解されないのだろう。
現代では、旧日本軍兵士や特攻隊などの犠牲は顧みられなくなり、ともすれば特攻隊などは無駄死にであったとする言論すらある。僕は、そういった認識が広まったのは、GHQによる戦後統治が戦争や軍隊に対して反省を促し、官民そろってネガディブイメージが据えつけられたからだと考えている。
その戦後統治を主導したアメリカにおいては、軍属にあって殉死した人々の名誉が社会の共通認識として守られているのをみると、なんとも不思議な感じがする。