とある喪男の雑記ブログ

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【一度は詣れ】信州善光寺にお参りしようぜ

遠くとも一度は詣れ善光寺

僕はこの日の午前中から昼にかけて、修験霊場である戸隠神社に参詣してきた。

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僕がこの日購入したアルピコ交通バスのフリーパスでは、善光寺前のバス停で降りることができるものだった。戸隠神社の静謐なパワーを得ていた僕は、さらなるパワーを求めて善光寺に参詣することにした。

善光寺は長野県長野市にある寺で、上記の戸隠神社と並んで2大パワースポットとして有名である。山号は定額山(じょうがくさん)で、宗派は無宗派であるが、寺院は天台宗と浄土宗による共同管理である。ご本尊は一光三尊阿弥陀如来で、絶対秘仏にして日本最古の仏像である。創建は今から1400年前の7世紀まで遡る、歴史のある寺である。江戸時代には伊勢参りと並んで「善光寺参り」の風習が広がり、一生に一度はお参りするのがよいとされてきた。

アクセスは、長野電鉄善光寺下駅から歩いて10分、または長野駅から、アルピコ交通の路線バスが数多く発着している。1番乗り場から10系統「善光寺」行き、11系統「宇木」行き、16系統・17系統「若槻西条」行きに乗るといい。

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入り口にあたる仁王門。「定額山」の揮毫が見える。

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大勧進。この大勧進自体がいくつかの寺院の集合体となっている。

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大勧進内の、水子供養の観音像。おもちゃなどがお供えされている。

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霊牌堂。大勧進の門を進んだところにある。参詣者のご先祖様をお祀りしている。

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護摩堂。護摩行をするためのお堂なのかもしれない。

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濡れ仏(延命地蔵尊)。江戸の大火の放火犯とされた八百屋のお七の冥福を祈るためのものらしい。

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六地蔵六地蔵は、仏教における輪廻転生で巡る6つの世界、すなわち天道、人間道、修羅道畜生道、餓鬼道、地獄道の世界それぞれにいる衆生を救済されるために活躍する。右手前の地蔵の足が出ているのは、彼が六道の中でも最も過酷である地獄道を担当しているからで、すぐにでも救済したいという思いで居ても立ってもいられないからである。

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善光寺山門。1750年に建てられ、重要文化財に指定されている。内部には文殊菩薩像、四天王像などが安置されている。

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善光寺本堂。1707年に建てられ、国宝に指定されている。高さ26m、横24m、奥行き54mもある巨大な木造建築で、内部の一部には土足のまま入れるが、内部は撮影禁止である。奥(内陣)へ入るには拝観料500円が必要。

また7年に1度「御開帳」があり、上述の絶対秘仏の代わりとなる「前立本尊」が開帳される。この前立本尊、普段は大勧進内に保管されているらしい。この御開帳には多くの参詣者が訪れる。次回の御開帳は2022年である。

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鐘楼。この鐘楼の音が、1998年長野冬季オリンピックの開幕を告げた。

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俳人小林一茶の句碑。「春風や 牛に引かれて 善光寺 開帳に逢ふや 雀も親子連れ」

次の乗り鉄観光の予定もあったのでそんなにゆっくりと観光できず、その意味で、霊場に来たにもかかわらず、心が静かに穏やかにならなかったのが正直なところである。

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冒頭ではパワースポットなどと紹介したが、僕が思うにここは、京都に数多くあるような、ランドマークであり象徴的であるがゆえに観覧するのに拝観料が必要な、博物館のような寺であった。そうだ、例えばあの清水寺とそっくりなのだ。参道周辺に土産物屋が乱立しているところとか。

本堂や山門も、他の伽藍も重厚で、300年も前の建築とは思えないほど素晴らしかった。

けれど、パワースポットを売りにしている以上、悠久の歴史や神聖なる信仰に思いを馳せ、まさにそれと向き合う自分自身を静かに見つめ直す、それが実現できる環境が必要だったはずだ。戸隠神社にそれはあった。そして善光寺にはなかった。それらを求めるには、ここ善光寺はあまりにも人が、そして商売っ気が多すぎた

僕が行ったのが週末だったから、そうだったのかもしれない。平日に休んで行ったならば話は変わるだろうか。そうすると一生に一度の参詣が二度になってしまう。富士山に一度も登らぬ馬鹿と二度登る馬鹿があるそうだが、果たして善光寺の場合は二度詣っても馬鹿にはならないだろうか。

正直、今回の善光寺詣りはあまり満足の行くものではなかった。ただきちんと見回れていないのも事実なので、気が向いたらまた行ってみるとしよう。

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