年金支給開始年齢を上げるなら、積立方式の年金制度を再構築しよう
政府は、年金支給開始年齢を上げることを検討しているらしい。
※会員限定記事のため、全てを読むことはできなかった
自民党の若手議員の連中は、社会保障改革の一環として、年金制度を持続可能にするために、支給開始年齢を現在の65歳からさらに引き上げることを議論したらしい。
年金制度を持続可能にするため←???
このくだりがまったくもって意味不明すぎる。
なるほど支給開始年齢を上昇させれば、支給すること自体は可能に違いない。持続可能にするため、というくだりからは、持続可能ではない現状があると読み取っていいだろう。僕がここで問題提起したいのは、仮に年金制度が(少なくとも現行制度が)持続可能ではないとしたら、はたしてその制度は存続されるべきであるか、という点である。
おそらく、「持続」の解釈が、政治家連中と僕の間で隔たりがあるのだろう。政治家連中のいう「持続」は、納めた年金をタイミング問わず支給すれば「持続」ということになるものと想定される。それに対して僕が要求する「持続」は、65歳になったら支給されれば「持続」と判断するものである。
我々は、一定の年齢になったら年金が支給されるという了解のもと、(仕方なく)年金保険料を支払っているのである。そのタイミングを、政府(と年金機構)の意向で勝手に変動させるような議論をすすめてはならないと僕は要求する。
本来議論されるべきは、現行の年金制度の存廃だ
どんなに日本人の平均寿命が長くなったとて、年齢を重ねれば、現役時代のように働くこともままならず、収入を失うこともあるだろう。その年令というのが、昔の60歳であり、今でいう65歳という基準なのではなかったか。そのための社会保障として、年金制度があるのではなかったか。社会保障を必要とする年齢になった人が、年金というかたちで社会からの生活の保障を受けられるのではなかったか。そして社会保障を必要とする年齢が、68歳になり、70歳になり、75歳になるというそもそもの根拠はどこにあるのか。仮に年金の支給開始年齢が70歳になって、65歳にして社会保障が必要となったら、その人はどうすればよいのか。生活保護を受けるか。自殺するか。
必要な人に届かない可能性のある社会保障制度など、存在しなくてよいではないか?
それで支給年齢を上げるという議論は、そもそもの議論の出発点として、現行制度の否定から入るべきではないか?
本来的に、年金制度というのは、老年期にさしかかるにあたって、社会の第一線で活躍してきた人に、その社会に対しての功労をねぎらい、働かずして一定の生活費を支給補助するものである。現在の支給額の計算は、物価の上下が加味されて支給されているので、額面上は、実際に支払った掛け金よりも多くの金額が支給されている。その原資は我々現役世代が納めた保険料であり、現役世代が高齢者を支える構造となっている(賦課方式)。
画像は2011年のテレビ朝日系「報道ステーションで」放送されたもの。若者まじ無理ゲー
積立方式の年金制度を創ろう
少なくとも現在の賦課方式が続く限り、納付額よりも支給額が少ない傾向にあり、若い世代、後に続く世代ほどこの傾向は強まる。その主要因は少子化であるから、人口動態が大きく変動しない限りその傾向が改善することはない。これは巨大な世代間不公平であり、若年層ほど一方的に損をする罰ゲームのようなものである。
もし我々が後の世代にこのような痛みを残したくないなら、現行の年金制度を廃止し、今一度新しい年金制度を再構築するべきであろう。具体的には、特定の世代を決めて、賦課方式を辞めて、積立方式(自分の支払った年金がそのまま自分のものになる)に移行するべきである。
例えば、2017年3月31日時点で、満年齢60歳以上の人に対しては、現行の賦課方式によって年金の支給を行う。同じく満年齢60歳未満の人に対しては、これまで納付した年金保険料を清算し、それを新国民年金としてそのまま日本年金機構に移管し、その後は積み立てていけばよいのである。
この場合、満年齢60歳以上の人はその後20~30年ほどかけて減少していくから、その間の支給総額だけ社会保障の予算で組んでしまえばよいのである。しかも支給する必要がある人数は年齢とともに減っていくので、予算的にもインパクトは最小限に抑えられるはずだ。
積立方式に移行しても、収入が低く、年金保険料を納めることが難しい人もあるだろうから、無掛け金でも支給される最低額などを決めておくと、そうした人たちもカバーできる制度となるに違いない。
ちなみに、もう一つ、現行の年金制度を維持する代わりに、年金制度からの脱退と納付した保険料の返還というアイデアも考えたのだが、これについては脱退者が殺到する事になり、現行の年金制度の維持すらもできなくなることが想定されたので、僕の脳内会議で却下した。
民間の保険契約だったら訴訟で当たり前
政治家連中に決定的に欠けているのは、ビジネス的観点である。僕がいうビジネス的観点というのは、双務履行契約として、一方はもう一方に金銭を支払い、金銭を受け取った側はそれに対応する労務を遂行する責任を負う、ということである。年金制度に当てはめるならば、国民は一定額の年金保険料を制度に従って支払い、年金機構は、一定の年令になったら年金を支払う、という契約である。民間の保険会社であれば、この「一定の年齢」が変更される場合は契約条件変更の扱いとなり、必ず被保険者と保険会社が同意し、契約の締結をやり直す必要がある。同意も契約の再締結もしないで支給条件を(被保険者に不利な内容に)変更するならば、被保険者から訴訟を起こされ、ほぼ確実に負ける裁判が控えているか、そんな誠意のない保険会社との契約など解約してしまうに違いない。
年金の支給開始年齢の引き上げは、それと同レベルの重大事項であるのに、この若手政治家連中というのはどうもその認識がないらしい。
年金に限らず、社会保障制度などは、制定された当時から事情が異なってきて、時代にそぐわないものになっているものがある。いかに現行の枠組みでなんとか乗り越えようとするにも限界があるのだから、時代にあわせて、古いものは廃止し、新しいものを創り出していけばいいのだ。