とある喪男の雑記ブログ

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シンガポール国立博物館で建国の歴史を学ぼう

シンガポールという国はすごい国だと思う。人口500万人あまりの都市国家だが、アジア最大の経済力を持つといわれる中国や日本よりも1人あたりGDPが高い。建国から50年程度しか経っていないにもかかわらず強力な経済力をもつこの国は、どのようにして歴史を歩んできたのだろうか。

シンガポール国立博物館は、そんな疑問にきっと答えてくれるだろう。僕が訪れたこの白亜の博物館は、シンガポールの歴史の歩みや文化、民族について深く学べる観光スポットである。

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シンガポール国立博物館の建物全景。入館料は15シンガポールドルコロニアル様式の真っ白な建物が美しい。

ところでコロニアル様式というのは、僕の理解では、「アジア圏に欧米圏から植民地時代に持ち込まれた、欧米圏伝統的な建築様式」のことだと理解している。つまるところ欧米圏の、等間隔に並べられた長方形ないしは五角形の窓とか、中央部が高くなっているシンメトリーデザインとかのことだろう。あるいは、後期バロック様式ロココ様式)からさらに装飾を簡略化したようなものと考えられる。ロココ様式が広まったのも18世紀後半といわれているので、アジア圏の欧米列強の植民地化が開始された時期にも合致する。

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ドームのステンドグラスが美しい。

植民地時代に欧米圏から持ち込まれた建築様式という意味では、南米圏にもかつてスペインなどから持ち込まれた建築様式がコロニアル様式として分類されている。欧米系の建築様式が欧米圏以外に持ち込まれたからこその「コロニアル様式」であり、それは欧米列強の当時の優位性を今に伝える分類方法だと思う。そして、果たしてその建物の分類にどれだけの意味があるのだろう。

コロニアル様式と紹介されたことから、上記のように僕は何となく植民地に対しての欧米系の差別意識を感じたのであるが、それは一旦おいておくことにして、内部に入っていこう。目的は、シンガポールの建国史を探求することだ。

内部に入る。まずは、シンガポールのかつての先住民がどのような生活を送っていたかについて、発掘された出土品とともに紹介される。鏃や銛、舟、楽器と思われるものが展示されている。

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そして1818年に、シンガポールの創設者ラッフルズが来星。東インド会社の職員であった彼は、シンガポールを獲得後、その発展とイギリスの植民地化に邁進することになる。ちなみに彼は来星前にインドネシア・ジャワ島にも派遣されたことがあり、彼の地の巨大な仏教遺跡であるボロブドゥールを発見したのも彼である。

その後シンガポールは、自由貿易の植民地としてイギリスの統治のもと発展していくのであるが、1941年12月7日(現地時間)に太平洋戦争が勃発すると、その3ヶ月後にシンガポールは日本軍に占領される。

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シンガポールは「昭南島」と改名され、日本軍による軍政が敷かれた。その中ではシンガポールの中国系住民である華僑が掃討作戦により殺害される事件も起こった。

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チャンギ国際空港のある場所はかつて日本軍が運営する収容所でもあり、多くの中国系の市民が収容された。こちらは実物のチャンギ収容所のドア。木製だが分厚く重々しい。

これらを含む日本軍政下の犠牲者は、ダウンタウンにある日本占領時期死難人民記念碑に追悼されている。

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さらに博物館の内部へ進んでいく。

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マレー半島進攻の機甲部隊主力となった、九五式軽戦車の精巧なレプリカ。トム・ハンクススティーブン・スピルバーグによるテレビドラマ「ザ・パシフィック」で使用されたと説明がある。

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日本軍の航空機パイロットの飛行帽。

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日本軍の地上軍の自転車部隊である「銀輪部隊」が使用した自転車。スタンドと、ハンドル部にブレーキが付いていないが、それ以外の構造は現代の自転車とほぼ同じである。空気を入れればまだ走れそうだ。

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日本陸軍の軍服と鉄兜。

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日本軍がマレー半島を占領した頃のポスターと、三八式歩兵銃。

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シンガポール陥落時。降伏交渉に臨むイギリス軍のアーサー・パーシバル中将。

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同上、パーシバル中将の対面に座り降伏交渉に臨む、「マレーの虎」こと山下奉文ともゆき中将。

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太平洋戦争時のシンガポールでも活動した、インドの独立運動家であるチャンドラ・ボース

太平洋戦争終結後、再びイギリスの植民地化にあったシンガポールを含んだイギリス領マレーは、独立運動を開始した。その結果イギリス領マレー半島マラヤ連邦として独立。シンガポールはイギリスの自治領となり、マラヤ連邦などとマレーシア連邦を結成する。この時点ではシンガポールはまだイギリスの自治領であり、マレーシア連邦の一都市であった。

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戦後、社会主義の台頭により、カール・マルクスの名著「共産党宣言」の中国語訳が出版された。

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演説する若かりし頃のシンガポール建国の父、リー・クアンユー。身長186cmの堂々とした体躯の男である。こちらは等身大の人形で、立体的に作られているため、隣に立って記念撮影もできる。

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リー・クアンユーが使用した首相専用ソファとチェスト。

1965年8月9日、シンガポールは分離独立。初代首相にはリー・クアンユーが就任した。

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リー・クアンユーが国民に対して独立演説を行った記者会見台。

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シンガポール独立を伝える新聞記事。

それから50年が経過し、シンガポール建国の父リー・クアンユーもこの世を去った。

シンガポールは今アジアトップクラスの所得水準を持ち、シンガポール証券取引所は東南アジアの金融の中心地であり、またITやハイテク系を中心とした多くの外資系企業が、優秀な頭脳と労働力を求めてこの地に拠点をおいている。

チャンギ国際空港は世界最大級の面積と年間5000万人以上の旅客を取り扱うようになった。人口500万人程度の小さな都市国家がそれだけのポテンシャルを持つのは、素直にすごいと思う。

これからもアジアの雄として、国際社会に対してプレゼンスを高めていくに違いない。

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