非モテ恋愛弱者のブログ

旧「非モテ系のままで生きていくブログ」から、恋愛弱者男性ブログに進化しました。レベル36の限界中年/異常独身/非モテのブログ。もう人生折り返しました。残りの人生を頑張らないで生きていこうと思います。なおこのブログには、モテる方法は1つも書いていません。

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【日本三大霊場】高野山奥の院で戦国大名の墓参りしようぜ

和歌山県北部にある高野山は、京都の比叡山延暦寺、青森の恐山菩提寺と並んで、日本三大霊場と呼ばれている名勝である。

寺院としての正式名称は高野山金剛峯寺金剛峯寺を中心とした宗教都市が形成されており、一帯は「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録されている。

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高野山霊場たる理由は、金剛峯寺の壇上伽藍のさらに奥にある、「奥の院」の参道にある。奥の院への参道は鬱蒼とした森の中を進むのだが、そこには所狭しと墓碑や廟が立ち並ぶ。

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一般的な墓地とは異なり、その多くが石鳥居と五輪塔による墓碑で構成されているが、注目すべきはその数と密度である。墓碑の数は20万を超えると言われており、あきらかに何かが「いる」としか思えなくなってくるが、それでいて恐ろしく静まり返っている。その静謐さに秘められた圧力は、言葉で伝えようとするのはなかなか難しい。

戦国大名に興味があるなら高野山参りしよう

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奥の院参道の入口、一の橋。

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一の橋を横から撮影。

高野山弘法大師空海によって開かれた聖地であり、奥の院では未だに空海が修行を続けていると言われている。

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その奥の院の参道周辺には、前述のとおり多くの墓碑が立ち並ぶ。墓碑の多くは公家、皇室、名家、戦国大名の墓であり、特に戦国大名の6割がここに眠っているとされる。

ただし、「大名の墓」となると各家や大名個人の菩提寺なども含むため、ここ高野山の墓碑は、供養塔的な意味合いが強いと思われる。

僕が思うに、墓所であるにもかかわらず鳥居を構えるのは、神仏習合の影響もあるだろうが、五輪塔戦国大名らの魂の依代と見なした上で、その周囲に穢が立ち入らないように結界としての機能を持たせるためだろう。

その意味で、大名の墓であることには変わりないので、「推し」の戦国大名がいるなら、高野山にある墓碑に参るのも悪い選択ではない。

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明智光秀墓所本能寺の変織田信長を暗殺したが、自身もその直後に山崎の戦いで敗れ、落ち武者狩りに遭い殺害された。

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参道に入ってすぐに目立つのは、奥州伊達家の墓碑である。初見の人は、その大きさに圧倒されるだろう。

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その傍らにある伊予伊達家の墓所。調べてみると、奥州伊達家の流れをくむ分家であった。

江戸時代に入ってからの転封や改易によって、地元の本家とは離れて領地を与えられることもあったらしい。日本史を勉強した人ならば常識なのだろうが、常識知らずな僕はそれを知らなかった。よく考えたら紀州徳川家水戸徳川家の関係とかそうだよね。

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加賀百万石を治めた前田家の墓所

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薩摩の隼人、島津家の墓所

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山口毛利家の墓所。中国地方を支配したあの毛利家である。

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羽後秋田の雄、佐竹家の墓所

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中にはよく分からない墓も。「八代将軍吉宗公の墓」が、大川家の墓の敷地内に設置してある。傍らにある葵の紋は確かに徳川家のものだが、墓碑が真新しいところをみると、完全に後付で設置したものなのだろう。

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関東で一大勢力を誇った北条家の墓所。他の戦国大名の墓碑と比べてだいぶ小さいのには、何か理由があるのかもしれない。

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紀州徳川家初代藩主、徳川頼宣墓所。この他にも紀州徳川家墓所がいくつかある。共通するのは、写真に写っているような、ハート型が潰れたようなくり抜きのある2枚扉を持つ点だ。

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甲斐の虎こと武田信玄と、その子勝頼の墓所。左側の大きい墓石が信玄のものである。

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奥州南部家は、岩手県盛岡を中心に権勢を振るった名家だが、墓所は鳥居や柵が崩れてしまっており、荒廃している。

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弘法大師の腰掛石。座って休んだところですら聖地になってしまう弘法大師すごい。

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越後の龍、上杉謙信の墓廟。墓石ではなくて建物として廟が立っており、少々朽ちている様に趣がある。

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備後の岩国藩を治めた吉川家の墓所。吉川家は、備中毛利家の重鎮である「毛利両川」のうちの1つとしても有名である。

吉川家ゆかりの岩国を訪れた記録もぜひ参照いただければ。

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「伊達家」ではなく「伊達政宗」としての個人の墓。伊達家の墓碑と同じくらい大きい。

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相模国の大久保家の墓所は、草に覆われてしまっており、崩壊しかけている。

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井伊掃部頭かもんのかみ直弼の墓所。参道を少しそれたところにあるので少々分かりづらい。

この日僕は初めて掃部頭の読みを知った。僕のPCでは変換できない。iPhoneでは変換できる。iPhoneすごい。

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関ヶ原の戦いにおける西軍の将、佐和山の狐こと石田三成墓所

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徳川家の名将として名高い本多忠勝墓所

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一気に時代は下り、南海電鉄の初代創業者、松本重太郎の墓所もある。南海電鉄は南海高野線やケーブルカーを運行しており、高野山への観光アクセスに重要な役割を果たしている。

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市川團十郎の墓。文化人も高野山に眠る。

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密厳堂は、真言宗の大英才にして復興者である興教大師覚鑁かくばんの修行場である。覚鑁は、高野山に立ち並ぶ五輪塔を、仏塔の一形式として普及させた人物としても有名である。

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長州毛利家の墓所は、掃除したのか新たに建立したのかわからないが、やけに新しいところが目を引く。

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化粧地蔵。この地蔵に化粧を施すと美人になれるらしい。

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法然上人の墓所。京都にある知恩院法然院金戒光明寺にも廟や墓所があったりするが、高野山にも墓所がある。

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戦国時代の覇者、織田信長墓所。他の墓所と異なり、お供え物をする人もあるようだ。

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織田信長墓所に近いところに、豊臣家の墓所もある。中央に大きな墓石と、それを守るように小さな墓石が5つ並ぶ。

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汗かき地蔵のお堂。参拝者の代わりに汗をかいているため、その身は常に濡れているという。

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汗かき地蔵のお堂の中には、「姿見の井戸」という井戸がある。この井戸を覗き込んで、自分が水面に映らないと、3年以内に死ぬという恐ろしい言い伝えがある。

僕は最初覗き込んで、本当に自分の姿が映らなくて、信心薄いにもかかわらずひどく驚いた。結局身の乗り出し方が足らず、映っていなかっただけなのだが。

奥の院参道の最奥部には、御廟橋という橋がかかり、その奥に空海上人の御廟がある。空海上人が今でも修業を続けていると言い伝えられており、御廟橋より奥は撮影禁止である。

ただし、立ち入ってお参りすることは可能。不届きな中国人が写真を平気で撮っていたが。

「日本の歴史探訪」というと、どうしても奈良や京都に足が向きがちであるが、とくに大名家の足跡を訪ねるという意味では、それに特化しているだけあって京都や奈良よりも断然面白い。

夏季に訪れれば避暑(高野山の気温は、標高が高いため大阪や和歌山市街地より6度ほど低くなる)にもなるし、森林浴にもおすすめだ。1日いても飽きないが、休憩場所は少ないので注意されたい。

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