とある喪男の雑記ブログ

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他人の感謝を素直に受け取れない人がいる

他人の感謝を素直に受け取れない人がいる

人が人と関わるならば、その行為によって助かる人もある。助けられた側は礼の1つでも言うのがコミュニケーションというものだろう。

けれども世の中には、そういった感謝を素直に受け取れない人がいるのである。

僕は先日、昔の会社の同僚が転職するというので、いろいろ相談に乗ったことがあった。転職の相談というのはなかなかパワーを使う。次にどんな仕事をするかという仕事内容的なこともそうだけど、ボーナスもらってから退職するかその前に退職するかという転職時期、新しい仕事の雇用形態と待遇、そして退職にかかる労務的な知識などの情報を整理し、最適解を手繰りよせていく作業だからだ。僕はその時すでに転職を2回経験していたし、一時期社会保険労務士を目指していたこともあって、その辺の経験則と知識が頼りにされたようだ。

その人はだいたい半年かけて準備し、無事新しい会社に、ほぼ希望条件で転職することができたようだった。ある日、僕のもとに連絡が届いた。

「僕くんのおかげだ、ありがとう」。

僕には何となく違和感があった。同時に、無性に自分が気持ち悪く思えてきてしかたなかった。僕は純粋に、同僚のよしみと情けで相談を受けていたのであり、その中で自分が知っている限りの情報を与え、自分が思考可能な限りの行動パターンを一緒に考え、リスクリターンを考慮した最適解を一緒に編み出した。結果としては偶々ほぼその最適解どおりになった。そしてそれはその同僚の努力によるところが大きかった。

僕は、僕が助けたいから相談に乗ったのであって、お礼を言われたくてそうしたわけではない。何なら同僚は別に僕でなくても、転職事情と労務に通じた誰かであれば誰でもよかったのだ。たまたま僕がそれに近しい人物像であったから、僕に相談しようとその人が判断したことに不合理性はない。だが、この気持ち悪さは何だろう。僕は連絡を返した。

「おめでとう、でも転職活動を頑張ったのは君だ、僕は横からあーだこーだと口を出したに過ぎないから、礼を言われる覚えはない」。

僕にとっては、転職が成功したことという事実そのものが僕にとっての喜びであり報酬であって、礼を言われることを想定していなかった。僕は人に感謝されようとしてやったのではなかった

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僕は、他人が僕に礼を言うことを他人に期待してしまうのがたまらなく嫌だった。僕は他人に礼など言ってほしくなかった。僕は純粋に、転職が成功することのみを目指したのであり、それこそ手に入れるべき成果であり、求めるべきものはそれ以上でもそれ以下でもなかったはずだった。

その同僚が僕に礼を言ったということは、少なからず僕が、見返りとして、礼を言うことを強要した面があったのではないか?!そしてそれを心のどこかで期待していたのではなかったか?

もしそうであったなら、僕はなんと不忠者であり、汚い人間なのだろう。礼を言わざるをえない状況を作ったのはおそらくこの僕だ。つまるところこれは感謝の強要をしたことになる。そうなれば当然、誠心誠意からではない成分がその感謝には含まれる!そんな心にもない・・・・・感謝をされるくらいなら最初から感謝など不要であるという僕の信念に反するものだ!

感謝を受け取るだけの貢献をしたという事実

思考は一巡し、ようやく僕は相手の立場というものを考える。相手の立場というのは、つまりこういうことだ。

転職したいが、そのことについてどうすればいいか、何に注意し、何を考慮するべきか、情報が必要であり、収集し、整理する必要がある。ちょうど知っている人間の中にその条件に合致するものがいる。それが僕である。彼は仕事やら何やらで忙しいが、相談に乗ってもらえないだろうか。ゴールを転職の成功に設定し、その手段として情報収集と整理をする。その「駒」あるいは「媒体」として利用可能な人間を得たい。その人間に、限りなく個人的な事情である転職活動に、その人間のリソースを割いてもらいたいという要求をしなければならない。幸いにも、その人間は協力してくれた。その人間のリソースと情報が提供され、そしてそれらは整理され、結果としてほぼ希望条件に合致した転職先を決めることができた。その人間の協力がなくとも、転職の成功はありえただろう。けれども自分のために協力してくれたことは事実だし、何よりも新たな労働環境を手に入れることによって自分の人生の可能性が一気にひらけたわけである。結果としては転職に成功したという事実より、自分の人生の可能性をひらかせたという事実を成果として手に入れたことのほうが重要だ。自分はそのことに対しての感謝として、その人間にお礼を言わなければならない。あまつさえ、お礼を言わないのは不自然だし不合理である。連絡をしなければ。

「僕くんのおかげだ、ありがとう」。

…という考えが実際にあったかどうか定かではない。けれどもそれを合理的に否定できる根拠もない。

こうして疑心暗鬼になった僕は、その同僚からの感謝を受け取らなかった。「礼を言われる覚えはない」。

けれどもそれは誤りだった

感謝されるのには理由がある

他人が僕に感謝をするのは、僕がその人に感謝するだけのバリューを与えたからに他ならない。僕はそのバリューを、僕の偏見によって過小評価し、あまつさえ他人から僕への感謝もその流れで不当に低く扱った。

僕は感謝を感謝として受け取ってよかったのだ。僕にとって大したことはなくとも、他人にとって大したことであるなら、それに感謝を伝えない理由はないのだ。30歳を過ぎてもなお、僕の視野はあまりに狭く、他人のことを考慮しないほどに浅はかだった。他人からしてみたら、当然に感謝するべきものとして感謝しており、それに一片の疑念も挟まれる余地はなかったのだ。

感謝を受け取る側は、感謝を受け取るに値する行動によって他人に貢献したのであるから、その事実をもって堂々と受け取ればいいのである

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