とある喪男の雑記ブログ

寝ることと知的ぶることが好きな、意識低い系喪男の雑記ブログ。流されることなく、流れるように、ゴミみたいな人生を、頑張らないで生きていく。全体的に低スペック。絶食系男子。鉄オタ。飛行機オタ。城址仏閣好き。

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1才の愛猫が悪性リンパ腫で亡くなった話する

僕のかわいいキジトラ猫が、不幸にも悪性リンパ腫にかかり、抗がん剤治療(COPプロトコール)を開始したことは以下のエントリに記載したとおりである。

junny-policies.hatenablog.com

4月の闘病開始から2ヶ月。結局キジトラは、わずか1才で還らぬ猫となった。

COPプロトコールを始めてから4週目までが過ぎ、キジトラの体調は良好であるようにみえた。最後のレントゲンにおいても、腫瘍の大きさは明らかに縮小していた。

自宅ではステロイドと胃薬、抗生物質を投薬させていたが、キジトラは薬を嫌がった。僕と弟はカプセルに薬を入れて、そのカプセルを水で少々濡らし、飲み込みやすいようにして規定量を飲ませていた。

5月27日、COPプロトコールの7週目の抗がん剤投与

COPプロトコールでは、1~4週目までは毎週抗がん剤の投与を行うが、4週目が終わると、以降は3週間毎の投与となる。7週目の投薬終了時の時点では 、キジトラの様子は良好であった。

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6月5日、呼吸が早くなる

キジトラは呼吸がまた大きくなり、回数も増えてきていた。この時点では兄弟猫のキジシロと遊んだりはしていたし、食欲、便通も問題はなかった。

6月9日、容態が悪化

キジトラはとうとう、以前のように大きく口呼吸をするようになり、すぐに動物病院につれていき、酸素室に半日入院することとなった。あわせて抗がん剤を応急処置で投与し、大きな口呼吸をすることはなくなった。ただし呼吸をするたびに胸部は大きく動き、そうしないと息が苦しいということが見て取れた。

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当日提示されたレントゲン写真。左が4週前、右が当日の状態もので、白い影の部分が胸部に広がっており、リンパ腫が再発(=再燃ともいう)していることがわかる。やはり若い猫の癌は進行が早く、COPプロトコールでも止められないほどだったのだ。

僕はすぐにペット用のレンタル酸素ハウスを手配した。しかしキジトラにとっては、レンタル酸素ハウスの中は多少マシという程度のようで、閉じ込められるのを嫌がったか、事あるごとに出してくれとせがんだ。僕たちは目の行き届くところでキジトラを解放してやり、しばらく経って息が苦しそうになったらまた酸素ハウスに戻すということを繰り返した。一方で食欲は多少回復したようで、多少のドライフードを口にしていた。

キジトラが酸素ハウスから出たがったときは、新鮮な外の空気を吸える場所へと連れていってやった。6月の夜のひんやりした空気は気持ちよさそうであった。

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亡くなる前日、外のひんやりした空気を吸うキジトラ(右)と、それに寄り添う兄弟猫のキジシロ。

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酸素ハウスで一休みするキジトラ。以前と比べて目がうつろになっている感があった。

6月12日、キジトラ逝く

僕が仕事を終わらせて帰宅すると、弟がすぐに様子を見に来いという。見てみると、キジトラは酸素ハウスの中でも大きく口呼吸しており、体を動かすこともままならない状況であった。ドライフードは手をつけられていなかった。横になると逆に胸部が圧迫されて苦しいようで、少しの時間横になってはすぐに起き上がり、おすわりの姿勢で必死に呼吸していた。

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大きく口を開けて呼吸するキジトラ(右)。キジシロも寄り添う。

苦しいから横になりたいのに、横になるとさらに苦しいから起きるしかない。僕はあまりにもいたたまれない気持ちになり、いっそ安楽死を、とすら考えるほどであった。一方でキジトラを今酸素ハウスから出そうものなら、それはそれで息が苦しくなってしまうのであった。そうなるともはや病院にも連れていくことはできず、また病院で何かできるような状態でもないことは明白だった。おそらく今日はもたない。妙な確信が僕と弟に生まれ、僕たちはキジトラとともに最後の時間を過ごすことにした。もはや僕たちができることは、縁あって我が家に迎えられた、この若くて不運な猫の最期を、見守ることだけであった。

キジトラは時折外に出たがり、その意を汲んで酸素ハウスから出してやるのだが、数歩歩くと息を切らしてすぐに酸素ハウスに戻っていった。酸素ハウス越しではあるが、僕はキジトラの体を撫で続け、名前を呼んでやり、かわいいよ、大好きだよと伝え続けた。

猫の十戒:第十戒

私が年をとっても世話をしなさい。そばにいて私を見送りなさい。「かわいそうで見ていられない」とか「私のいないところで逝かせてあげて」なんて言うのは許しません。なでなさい。なで続けなさい。かわいいね、いい子だねと言いなさい。言いまくりなさい。そうすれば私は着換えの時間を少し短くしてやってもよいです。まあ、気が向いたら。

nekochan.jp

僕の帰宅から3時間後、キジトラは酸素ハウスの中でヒック、ヒックと大きく息をしたあと、バタリと横になって痙攣を起こし始めた。僕はこれまで猫を飼っていた経験から、とうとうこれが最期だとわかった。すぐに弟を呼び、体を撫でつつ、ばたつかせている前後の足がキジシロに当たらないよう配慮して、また名前を呼んでやった。1分ほど暴れたキジトラは、僕と弟とキジシロの前で、とうとう動かなくなった。誕生日の翌日のことだった。

呼吸もせず、心臓も動いていない。もはや役目を終えた酸素ハウスの機械の動作を停止させると、それは驚くほど静かな空間が広がった。そうか、我が家はこんなにも静かだったのだ。その静けさが、キジトラが逝ってしまったことを、更に強調しているように思えた。

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主人を失い、役目を終えた酸素ハウスが、静かに悲しみを物語る。悪性リンパ腫の余命は部分寛解で2.5ヶ月程度。当初宣告された余命通り、キジトラ猫は生き抜き、そして力尽きた。

6月15日、キジトラ、空へと還る

ひとしきりの別れを済ませたあと、キジトラを火葬。最後に見たキジトラは、まるで眠っているようで、声をかけたら起きてきそうですらあった。けれど体は冷たく、呼吸もせず、その体からは何も音が聞こえてくることはなかった。あの苦悶に満ちた最期の表情は、穏やかな寝顔のように変わっていた。あぁ、よかった。逝く寸前まで、あれだけ横になって寝たがっていたのだから。もう苦しむこともない。それだけが僕の救いだった。

子供が生まれなければ猫を飼いなさい。
猫が赤ん坊の時、あなたは猫の良きしもべとなるでしょう。
猫が幼年期の時、あなたは猫の良きしもべであるでしょう。
猫が少年期の時、あなたは猫の良きしもべでいるでしょう。
猫がおとなになった時、あなたはやはり猫の良きしもべのままでしょう。
そしていつかその時、猫は自らの死をもって
あなたの心に 猫型の穴を開けるでしょう。
その穴を埋めるには、また猫を飼うしかありません。

ペットロスは前回16才の白猫を見送ってから9年ぶり3回目。やはりこの感覚は慣れないし、僕のようないい年をした大人の男が大泣きしかけてしまう。

わずか1年。キジトラ猫はその間、たくさんの思い出と癒しを与えてくれた。そして僕の心に猫型の穴をぽっかりと残して、空へと還っていった。わずか1才の闘病生活は、その全てが終わったのだった。

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