とある喪男の雑記ブログ

喪男とはモテない男のことです。寝ることと知的ぶることが好きな、意識低い系喪男の雑記ブログ。流されることなく、流れるように、ゴミみたいな人生を、頑張らないで生きていく。全体的に低スペック。絶食系男子。鉄オタ。飛行機オタ。城址仏閣好き。

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知覧特攻平和会館で涙とともに、平和について考えよう

心に重すぎる一撃と、平和に対しての問いかけが与えられる

鹿児島県南九州市知覧町郡。武家屋敷と茶畑が広がる緑豊かな集落の合間に、知覧特攻平和会館がある。
鹿児島中央駅からバスで40分。特攻観音停留所から歩いて数分のところ。かつては旧日本陸軍の飛行場であり、その跡地に建てられた戦争資料館である。

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夢たがい観音。特攻観音バス停のすぐそばにある。夢があったにもかかわらず、その半ばで散華された先人の無念を思いを馳せると、とにかく心が痛む。

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知覧特攻平和会館が伝える、戦争が引き起こした結果

僕が指摘したいのは、かつて戦争が起こったとき、この国で何が起こったのか、正確に知る必要がある、ということである。敗色濃厚な戦争で何が起こったか、知覧特攻平和会館にはそれがよく資料として残されている。

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それは何千人もの若き特攻隊員の死であり、あるいはそれはともすれば無駄死にとすら評されてしまう。このことは戦争がもたらした数あるものの中の1つである。認識しなければならないのは、何千人もの特攻隊員が1つの戦争で戦死したということではなく、1人の若き特攻隊員が戦死するという出来事が何千も発生したということである。多くの達筆な遺書が残されている。1つ1つに目を通すがいい。それは絶望的なまでに追い込まれた状況の中で、祖国である日本を守るために、軍人として何ができるのかを悲壮なまでに綴った血書である。

知覧特攻平和会館の展示物

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知覧特攻平和会館へ向かう路の傍らには、多くの灯籠と、全て顔の異なる特攻隊の若き飛行兵の上半身が彫られている。

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時は3月下旬、九州南部では既に桜が満開だった。そんな中まず来訪者を出迎えるのは、一式戦闘機「隼」の1/1のレプリカである。こちらはかつて映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」の撮影に使われた精巧なモデルである。左翼下に燃料タンクを、右翼下に250kg爆弾を懸吊する。

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同機を右から。250kg爆弾は人の腕を広げた程度の長さしかないが、まともに命中すれば航空母艦1つを大破できるほどの破壊力をもつ。そんなものとともに米海軍の艦船に体当りさせるというのは、少なくとも70年後の未来に生きる僕たちの観念からみてみると、どれだけ無謀で悲劇的な作戦だっただろうか。有人弾道ミサイル!ロケット特攻機「桜花」とともに、人間の命を部品にしてしまった、あまりに痛ましい兵器である。

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その山容の美しさから、「薩摩富士」の異名をもつ開聞岳知覧飛行場を発進した特攻機の部隊は、この開聞岳の傍らを飛び、その際に花束などを海に投げ、故郷への別れとしたという。

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特攻隊員が寝泊まりしたという建物。

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内部はこんな感じ。

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特攻隊員の像と航空自衛隊の初等練習機。

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敷地内には護国神社も建立されている。

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内部は撮影禁止

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会館の全景。ここから先は撮影禁止であるが、収蔵物としては、まず特攻隊員の遺影と遺書がある。この遺書がとても達筆で、とても20歳前後の若者が書いたとは思えないほどである。昔の人はしっかりしていたのかもしれないと思いつつ、一方でパイロットになれたのは頭脳明晰で運動能力の高い学生ばかりでもあったため、それなりに高い教養を持っていたのではないかとも思う。

他には、撃墜された零式艦上戦闘機(海中から引き上げたものを復元せずそのまま展示)、また世界にも1機しかない、旧日本陸軍の最高傑作にして大東亜決戦機とも呼ばれた重戦闘機、四式戦闘機「疾風」も展示されている。「疾風」はもともと飛行可能であったのだが、メンテナンスが疎かにされてしまったため飛行不能になってしまった、とても残念な機体でもある。

以前は日本陸軍唯一の液冷式エンジンを装備した三式戦闘機「飛燕」があったのだが、こちらは各務原市の航空博物館へ移転した。

知覧飛行場が旧日本陸軍の航空基地であったこともあり、本会館の展示物は陸軍にまつわるものが多い。内部の撮影ができないため、ブログなどでそのインパクトを伝えるのが難しく、それは僕のような語彙力の貧しいブロガーにとっては困難を極める。けれども、特攻隊の悲惨さの一方で、特攻隊員が守ろうとした日本という国に今一度思いを馳せたり、あるいはその決意の悲壮さ、儚さ、また更にいえばある種の美しさすら感じてしまうところ、70年前の価値観と現代を生きる僕たちの価値観を対比してみるのも面白いだろう。

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そして、僕は1つの疑問を問いかける。特攻隊員は友人を、家族を、故郷を、そして日本を守るために散華された。今の日本は、彼らが守りたかった日本になっているだろうか。老害どもは言うだろう。今の若者は遊んでばかりでチャラチャラしていてけしからん、特攻隊員の真面目さを見習え、と。

そうではない。僕はこのように解釈している。少なくとも今の日本は、ある日突然空から爆弾が降ってくることもなければ、大学での研究を中断させてまで戦線に送られることもなく、国家の行く末を案じる必要性すらない。国家がどうこうなどまるで関係なく、勉強したり、ゲームをしたり、遊んだり、その時その時の最新技術の恩恵を受け、(少なくとも表面上は)自由と平和を謳歌している。戦争で家族や友人をいきなり失うような世界にはなっていない(が、それはアメリカが日本を防衛しているからでもある)。

今の日本は、戦争である日突然死ぬことはない程度には平和なのですと、僕は先人に報告したい。きっと先人も、それを根底で望んでいたのだと信じている。

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