読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

とある底辺喪男の社会評論

現代社会の様々な問題点や、政治、経済、金融、教育のあらゆる社会的分野について、好き勝手に評論する若干意識高めのブログです。ただし、論者は底辺喪男です。

☆スポンサードリンク☆

被爆国日本「核禁止条約に反対するわ」→世界中が失望

海外

www.jiji.com

辻元清美議員やら、森友学園の問題やらでまったく注目されていないニュースだが、僕はこのニュースに大いに関心を持っている。日本は核禁止条約交渉に参加しないことになった。

そもそも核禁止条約とは

各禁止条約というのは、一言で言うと、核兵器保有を法的に禁止しようぜ、という字面そのままの試みである。批准した国は核兵器保有を法的に禁じられ、当然保有に対して罰則がつくわけだ。なお、あくまで核兵器保有することを禁止するだけで、原子力発電などの核エネルギーの平和的利用については禁止していない。ちなみに、生物兵器化学兵器、対人地雷、クラスター爆弾などの、その使用に人道的な問題があるとされた兵器は既に使用も生産も禁止されているが、核兵器だけは未だにそうした制限条約は存在しない。単体での殺傷力はそれらの兵器のそれをはるかに上回るというのに。

世界唯一の被爆国は「核の傘」で守られている

日本は大変微妙な立場に置かれている。現状東アジアの安全保障はアメリカに頼っており、それを担保するのは世界の警察たるアメリカの軍事力とそれが保有する核兵器であるからだ。事実、日本の周囲には、中国、北朝鮮、ロシアといった、核兵器保有国が位置している。隣の国が核兵器保有しているが、自国では核兵器保有することができないため、それが持つ対外的抑止力をアメリカ軍に担保させているわけである。だから、条約交渉会議に参加した高見沢将林軍縮大使は、「現状では建設的かつ誠実に参加することは困難」とし、あえてアメリカ等五大国の立場を尊重した発言をし、交渉から脱退したのである。岸田文雄外務大臣が「核兵器保有国と非保有国の対立を深める」としたのもその配慮の現れだろう。この側面からは、特段の不合理性は見られない。

昨年5月、オバマ大統領(当時)が広島を訪問したことを覚えておいでだろうか。その時のオバマ大統領と安倍首相のスピーチを読んでみると、明らかな矛盾が噴出するのである。

オバマ大統領と安倍首相の広島スピーチ

2016年5月27日、オバマ大統領は広島でスピーチを行った。その概要は次のようなものだった。アメリカ大統領の演説というのは表現が堅くて好きなのだが、僕のような知性の低い人間が要約するのには少々苦労を要する。

要約すると、次のようなものだ。科学は人類を発展させえたが、同時にそれは効率的な殺人マシンへと変貌する可能性があること。だからこそ人類は理性と道徳を変革させる必要があること。世界中では未だにテロや侵略や腐敗や抑圧が起こっているが、こうした邪悪な行為を根絶する努力をしなければいけないし、アメリカのような核を保有する国は、勇気をもって恐怖から逃れ、核兵器なき世界を追求する義務があること…。

全文はこちら↓↓

www.huffingtonpost.jp

そして、安倍首相のスピーチ。終盤でとてもいいことを言っているので、こちらはそのまま引用。 

世界中のどこであろうとも、再びこのような悲惨な経験を決して繰り返させてはならない。この痛切な思いをしっかりと受け継いでいくことが今を生きる私たちの責任であります。

 核兵器のない世界を必ず実現する。その道のりがいかに長く、いかに困難な者であろうとも、絶え間なく努力を積み重ねていくことが今を生きる私たちの責任であります。

 そして、あの忘れえぬ日に生まれた子供たちが恒久平和を願ってともしたあの灯火に誓って、世界の平和と繁栄に力を尽くす。それが今を生きる私たちの責任であります。

 必ずやその責任を果たしていく。日本と米国が力を合わせて、世界の人々に希望を生み出すともしびとなる。この地に立ち、オバマ大統領とともに改めて固く決意しています。そのことが、広島、長崎の原子爆弾の犠牲となった数多の御霊の思いに応える唯一の道である。私はそう確信しています。

引用元はこちら↓↓

www.sankei.com

日本は広島スピーチで嘘をついた

広島スピーチでは、安倍首相はオバマ大統領とともに「核兵器がもたらした悲惨な経験を繰り返させてはならない、核兵器のない世界を必ず実現する、それがどんなに困難でも努力することが自分たちの責任だ」と語っている。一方で、核兵器のない世界を実現するための具体的な取り組みである核禁止条約に対しては、条約不参加を決め込む。この二律相反を、政府は説明しなければならないだろう。

「理想はそうでも現実はそうじゃないんだ」とかそういう大人の事情みたいなことは聞いていない。何なら僕は「核の傘」が日本の安全保障の切り札となりうるのなら、それを利用することにも賛成だ。そのために核禁止条約がその制約となるのなら、批准しなくてもいいし不参加だっていい。論点はそうじゃない。もし核禁止条約に反対不参加するなら、なぜ広島スピーチにおいて、「核兵器のない世界を必ず実現する」ことを自分の責任として約束してしまったのか、という点である。僕の邪推によれば、世界平和を望むけど、それによって「核の傘」がなくなって安全保障に問題があるくらいなら、核による恐怖が存在する世界のほうがはるかにマシだ、というのが日本政府の意向なのだろう。それならばそのように広島スピーチで言えばよかったのだ。何ならそのことを広島で言うことに深い意味があったはずだ。おそらく全世界が日本に失望するだろう。それを覚悟してまで言うべきだったのだ。僕はこういう建前というか、欺瞞というか、そういうのが大嫌いだ。おそらくは、スピーチする場所が広島だから、こういう内容のスピーチにしただけなのだ。世界平和とか、かっこつけるからこうなる。本質的に、国家の防衛とか安全保障なんてエゴイズムの極みなんだから、わざわざ取り繕わなくても、その本質が極めてダーティなものだとみんな知っているのだ。

そして、日本は世界から失望された

さて、このようなどっちつかずの日本の態度は、国際社会からしっかり批判を浴び、失望を呼び寄せたようである。「どうして被爆国の日本が不参加なのだ」と。

www.asahi.com

核兵器保有国の各国からすれば、自国軍の抑止力の担保となる核兵器を失いたくない。彼らは核軍縮を望んではいるが、それによって非保有国に対しての軍事的牽制力を失うことは望んでいない。非保有国の各国からしても、核兵器そのものの非人道的な殺傷力そのものを問題視しているだけであって、あくまでそれを自国に使用されたら打つ手がないから禁止扱いにしようと試みている。つまるところ、彼らは世界平和それ自体を望んでいるわけではなく、あくまでパワーゲームの範囲における自国の安全保障の担保を望んでいるのである。世界平和というのはそれの結果にすぎない。

こうして、日本は見事に失望されたのであるが、そもそもこれは日本が自分で自分の国すら守れない戦後体制にその原因があるのであり、その体制に甘んじてきた歴代政権に原因があるのであり、その歴代政権を選挙で選出してきた国民全員に原因があるのだ。

f:id:junny-policies:20170329201635j:plain

僕は原爆ドームと、平和記念公園内にある広島平和記念資料館に行ったことがある。この場所は、全日本の大学生の卒業旅行の目的地にしてもいいくらいだ。核兵器を人間に対して使用するとどうなるかがよく分かる。そしてそれを使用しようと思えば使用できる連中が存在するという絶望的な現実に対しての恐怖が思い起こされるはずだ。何なら核兵器を人間の頭の上に落とそうと思いつきうる人間という存在が大嫌いになる。

何度でも言ってやる。僕は戦争も核兵器も大嫌いだ。

☆スポンサードリンク☆